遅刻すれば相手は「待つこと」を強いられてしまう

約束の時間に遅れるのは、待っている人の限られた時間を奪っているのと同じこと。相手の時間を「待つこと」だけに消費させることになるのです。

自分が誰かを待たせている間に、その人たちは“別の有意義なこと”ができていたかもしれません。でも、その時間はもう戻ってこないのです。「遅刻はしない。約束の時間は守る。それは信用に関わるだけでなく、相手の時間を大切に考えるということでもあるんだよ」――これは経営者として大きな成功をおさめているお客さまの言葉です。

スマホやSNSが身近になった現代は、いつでもどこでも、事故で止まった電車の中からでも連絡が取れる時代です。持ち合わせに遅れそうになっても、「5分遅れる」「あと10分で着くから」と状況をリアルタイムに伝えられるため、「約束の時間に遅れること」自体、あまり気にしなくなっているようにも思えます。

でも、「連絡がつくから遅刻しても平気」ということではないと思うのです。遅れそうになったら連絡を入れるのは当たり前のこと。どんなに便利になろうが、やはり「遅れない」という意識が大前提にあるべきです。すぐに連絡がつく便利さが「遅刻してもいい」という免罪符にはならないのです。

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「遅刻に怒る人は能力が低い」という意見もあるが…

「5分や10分待たせてもいいや」と考える人は、スマホがあろうが連絡がつこうが、いつも遅れてきます。「時間どおりに行かなきゃ」「待たせたら申し訳ない」と考える人はどんな待ち合わせでも時間どおりに来ます。結局、時間を守る人のほうが、いつだって待たされることになる。こんな“理不尽”はありませんよね。

「遅刻に怒るような人は能力値が低い」――ある実業家の発言がネット上で話題になり、物議を醸しました。遅れの取り戻し方を考えるべきで怒ってもしょうがない、優秀な人は忙しいから遅刻やリスケ(リスケジュール)は当たり前、なのだそうです。

考え方は人それぞれでいいのですが、私などはやはり違和感を覚えてしまいます。少々の遅刻なんて大した迷惑じゃない――そうかもしれません。でも時間に遅れることは、結果として「迷惑をかけたかどうか」ではなく、「時間を奪っている」という行為そのものに問題があると考えるべきでしょう。もっと言えば、いつも時間に遅れるのは「あの人なら待たせてもいい」「あの人の時間なら犠牲にしても平気」という相手を軽んじる非常に失礼な行為だと思うのです。