デジタル化の本質を見誤った

営業の現場からすれば、単なる多機能化でもありがたい話だっただろう。だいたいデキの悪い営業マンほど自らの営業力を棚に上げ、製品に差別化を求めるものだ。

「うちの製品には、他社さんにはない×××の機能が付いていますから」

この言葉は、似たような製品を仕入れたくないバイヤーへの強いアピールになるし、競合品との真正面からの価格競争を避ける言い訳にもなる。もしユーザーが追加した機能を気に入らなければ、そのぶん価格を下げれば邪魔にはならない。多機能化はデジタル化の本質である「画期的な簡易化」からは外れていたが、営業現場のニーズは満たしていた。

過ぎたるは猶及ばざるがごとし、とはよく言ったもので、日本企業が進めた高付加価値化(実質的には多機能化)に形勢を逆転させる力はなかった。日本の音響業界は次第に力を失い、やがて業界再編を余儀なくされる。残された国内のオーディオ市場では、気づけばBOSEやJBLなど、外資系企業が勢力を拡大させていた。

ユーザーのニーズよりメーカーの都合を優先した

高付加価値化を進めたのは音響製品だけではない。衝撃に強いパソコンや、家の中の映像機器をネットワーク化するブルーレイレコーダー、立体映像が見られる3Dテレビなど、多くの製品にさまざまな付加価値が付けられた。規格製品のため差別化が難しい記録メディアでさえ、TDKは記録面に傷がつきにくい光ディスクを売ったりもした。今にして思えば、付加価値というより、少しでも売価を上げて利幅を稼ごうとするギミック(仕掛け)に過ぎなかったのだが、当事者からすれば真剣だった。

桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』(集英社新書)

振り返ってみれば、日本企業の高付加価値の実態は、ユーザーのニーズよりメーカーの都合を優先していた感が否めない。それでも日本市場では消費者の日本ブランド信仰に助けられて何とか生き残ったが、海外市場ではまったくと言ってよいほど受け入れてもらえなかった。ユーザーニーズに沿わない機能を加え、その結果コストが上昇して割高になっていたのだから、ヒットしないのも当然だった。

世界の中でユニークな家電製品が溢れる日本市場は、独自の生態系をもつ島になぞらえてガラパゴス市場と呼ばれている。その呼び名には、本流から外れた日本企業を揶揄する意味合いも込められている。高付加価値の名の下に多機能化に走り、「画期的な簡易化」を軽視した日本製品が力を失っていくのは必然的な結果だった。

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