なぜ「損切りは早く、利食いは遅く」はかくも難しいのか
株価を予測する。それを仕事にしている専門家にもできないのだから、素人である個人投資家にできるわけがない。どうやったって株式投資は予測不可能で不確実である。だから、いかに勝つかを考えても仕方がない。むしろ「いかに負けを軽微にするか」が勝負の分かれ目になる。これが著者の「投資論」の骨格にある。つまり「大負けしないこと」だ。そのためには、長期間運用し続け、「マーケットから退出しないこと」が肝要だと広木氏は言う。
ただし、これは「一度買ったら長期で保有しましょう」という話ではない。マーケットから出ないで何度もトライできる状態を維持することが大切なのであり、そのためにはむしろ「こまめに売る」ことがカギになる。なぜか。広木氏は人間の本性を直視する。「損切りは早く、利食いは遅く」、これは投資の王道とされる。しかし、人間の本性からいってその実行は至難の業できないからである。わかっていながらこの間逆、「損切りは遅く、利食いは早く」になってしまうのが人間である。
カーネマンとトヴェルスキーという2人の経済学者が提唱した有名な理論に「プロスペクト理論」がある。行動ファイナンスの代表的な理論で、カーネマンはのちにノーベル賞を受賞した(トヴェルスキーはその前に亡くなっている)。プロスペクト理論というのは、「人は利益から得る効用(満足)よりも、損失から得る負の効用(苦痛)のほうが大きい」という、満足と苦痛の非対称性を数学的に説明するモデルである。投資に当てはめると、たとえば100万円儲ける満足より100万円損する苦痛のほうが大きい、ということだ。100万円得をした人がそのすぐあとに100万円損をしたとする。実際プラスマイナスゼロなのだが、心理的な損得勘定はマイナスになる。だから、利益がでるとすぐに確定したくなる。逆に、評価損を実損にしてしまうような売りの意思決定は先延ばしになる。「利食いは早く、損切りは遅い」に陥るという成り行きである。
だからこそ、「損切りは早く、利食いは遅く」を意識的に実践しなくてはならない。たとえば「10%下がったら売る」といった売却基準を事前に設定し、下げ局面でこまめに売っていく。これは短期トレーディングでは常識だそうだが(この辺は僕には馴染みがない話なので「だそうだ」としか言えない)、長期投資では必ずしも重視されず、むしろ下げ局面で買い増す「逆張り」が推奨されてきたという。しかし、大きな含み損を抱えたくない個人投資家にとっては、こまめに損切りしつつ、「市場にとどまり続けること」が大切なのである。一方で、値上がりしている銘柄はそのまま持ち続けるか、買い増す。このように細かい手数を繰り返すことで長期的に銘柄をしぼりこんでいき、じっくりとポートフォリオを最適化していく。もちろん、「このとおりやっても成功するかどうかは(当然のことながら)わからない」とつけ加えることを著者は忘れない。
投資において理論はとても重要である。これが著者に一貫したスタンスだ。著者がいう「理論」というのは、「相場に対する構え」なり「投資哲学」「大局観」を意味している。そういうものが背後にあって判断を繰り返していくのと、まったくのドタ勘勝負を重ねるのとでは、長期的に見て結果は違ってくる。究極的には「株式とは何か」「市場とは何か」を自分のスタンスで突き詰めるしかないという話である。
この本には「儲かる!」「最強!」「革命!」「今すぐ!」といった「!」つきの言葉はまったく出てこない。投資に挑もうという人の傍らで、「投資というのは考えてみると、こういうことなんじゃないかな」「市場というのは、このようにとらえることができるのではないかな」という著者なりのロジックや哲学を静かに語っている。飛び道具、必殺技はいっさい出てこない。僕のような門外漢にも、素直に腑に落ちる話ばかりである。