傷つき、憤った両親は、安優香さんには他の健常な11歳児たちと同等の学力と社会性があり、「聴覚障害があったからといって、決して健常児よりも劣っていたわけではない」と証明するために、彼女の生前のテストや作文などをかき集めて提出した(ご想像の通り、安優香さんの両親は損害賠償請求訴訟を起こして以来ずっと、ネットなどで心ない誹謗ひぼう中傷を受け続けているという)。

「差別じゃねえよ、区別だろ」

結論として、大阪地裁の武田瑞佳裁判長は、逸失利益の算出基準を労働者全体の平均賃金の85%とする判断を示した。基準となる数字自体は上がり、司法の前進と受け取られた。武田裁判長は、障害を克服して社会参加できる技術の進歩や安優香さんの頑張りを鑑み「年齢に応じた学力を身につけて将来さまざまな就労可能性があった」と認める一方で、「労働能力が制限されうる程度の障害があったこと自体は否定できない」とし、障害者の労働能力が健常者のそれよりも低く、従って収入も低いということは事実として存在する(そして法はその社会的事実に従う)との司法見解が残された。

2023年の日本で、障害児に予測される人生は平均的な健常児が送る人生の「頑張って85%」という司法見解。思ったよりも高いと思うか、それともこの時代に障害の有無で「子どものいのちの価値」に差がつけられた、と憤るか。世間もまた、それぞれの意見で紛糾した。すっかり手垢のついた浅はかな表現も、ネットのあちこちでこれみよがしに湧いていた。「差別じゃねえよ、区別だろ」。もし自分が聴覚障害を持って生まれていたとして、その人は同じこれみよがしの顔つきで、そう言えるだろうか。

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