「母は事故死を装った」と信じた

兄弟の母であるダイアナ妃はチャールズと離婚後の1997年、ボーイフレンドとのパリ滞在中に交通事故で亡くなった。

この時ハリーは12歳、ウィリアムは15歳。

息子たちは遺体を見ることができず、遺髪だけが渡された。そのため、ハリーは母が事故死を演出して世間の目をくらまし、別人として新しい人生を歩んでいるというファンタジーを頭の中で作り上げる。「だから、落ち着いたらきっと連絡があるはずという希望をずっと持っていた……」というくだりは切ない。

別のページでは、実は亡くなったことは初めからわかっていたが、認めることが怖かったとも語っている。「母の気配をいつも感じる」「野生動物を母のメッセンジャーだと確信する」などのエピソードが多数織り込まれ、しまいには霊媒師と面会し「あなたを誇りに思う」という「母からの伝言」をもらって喜んでいる。ダイアナの死がハリーに与えたトラウマが今でも、彼の考え方や行動に影響を与えていることは疑う余地がない。

写真=冨久岡ナヲ
1章の扉には、母ダイアナ妃と共に笑顔を見せる子どものころのハリー王子の姿が。母からかかってきた最後の電話で、早々に会話を切り上げてしまったことをいまだに後悔しているという

「お騒がせ王子」を成長させた従軍経験

物事に集中するのが苦手だと本の中に書いているくらい、ハリーはともかく落ち着きがない。勉強嫌いで、特に読書は最も不得手だった。十代の頃はスポーツとパーティーに明け暮れ、友達と走り回っては悪さをするのが一番性に合っていたようだ。

大学に行く気のなかったハリーは、名門イートン校を卒業すると陸軍に志願し、44週間の過酷なトレーニングに参加する。このあたりから突然、文章が躍動してきた。訓練を通して、兵士として個人のエゴや感情を殺すこと、死を恐れない気構えなどが徹底的に叩き込まれていく様子、厳しく指導されればされるほど意気揚々と課題に挑戦しクリアしていく様子からは、胸が躍るような高揚感が伝わってくる。

メディアから、ことあるごとに「お騒がせ王子」「能無し」などのレッテルを貼られていたハリーの人生は、入隊で一転。自分が目指すべきは立派な軍人だと悟ったという。どうやら彼には、強いリーダーと明確な指揮系統を持つ軍隊のような「枠組み」が必要だったようだ。王室とガールフレンドの心配もよそに、ハリーは戦地への派遣を希望し、アフガニスタンでのタリバンとの戦いにも参加した。

ただ残念なことに、ハリーを追いかけるメディアのせいもあって従軍のたび敵側に情報が漏れ、格好の標的にされてしまう。所属する隊は危険にさらされ、いつも戦い半ばで泣く泣く引き上げている。帰還する軍用機に同乗した負傷兵を見て「今まで自分のことばかり考えてきたのが恥ずかしくなった。戦争の現実を誰かが伝えなければ」と思ったという。戦場から戻るたびに「別人になった」「老けた」と驚かれたが、猛スピードで成長していたのだろう。この時の経験がのちに、戦傷者のためのスポーツ大会「インヴィクタス」創設へとつながっている。