男の子がキャッチボールを好きでも、人形遊びが好きでもいい
たとえば男の子がキャッチボールを好きでもいいし、人形遊びやお化粧ごっこを好きでもいい。メイクや脱毛をしたい女性はすればいいし、したくない女性はしなくていい。それぞれが好きなものを選べる社会、「男/女は○○するべき/するべきじゃない」と強制されない社会を目指すのがフェミニズムである。
また、そもそも「男らしさ」って何かね? と考えてみてほしい。たとえばパワフル、打たれ強い、度胸がある、リーダーシップがある、意見をハッキリ言う……そういう性質や個性は性別関係なく長所である。
それらを「男らしい」と括ってしまうと、それにあてはまらない男性は「男のくせに」「女々しい」「女の腐ったような」と揶揄されて排除される。逆にパワフルな女の子は「女の子なのに元気すぎる」と揶揄されて、意見をハッキリ言う女性は「女のくせに生意気だ」と排除される。
だから私は「男らしい」「男前」「女子力が高い」といった言葉は使わず、「パワフルだね」「料理が上手だね」などそのまま言うようにしている。細かいことを気にしなくてもと言う人がいるが、言葉は文化を作るからだ。
言葉は呪いになる
そして、言葉は呪いになるからだ。以前、中学生の男の子が「お菓子作りが好きなんだけど、女子力高い(笑)と言われるのがイヤだ」と話してくれた。そう言われるのがイヤで、彼はお菓子作りをやめてしまうかもしれない。逆に「美味しいね」「すごいね」と褒めてもらえれば才能を伸ばせるかもしれない。女の子だけじゃなく、男の子も翼を折られるのだ。
また、別の男の子は「男の子なんだからいっぱい食べて大きくならなきゃ、と言われるのがつらい」と話してくれた。逆に女の子は「やせなきゃ」とプレッシャーをかけられる。
40代の女友達はSNSにダイエット広告が出てくるのがウザくて、性別欄を男性に変えたそうだ。すると入れ歯安定剤の広告がジャンジャン入るようになったという。我々は入れ歯を安定させたいお年頃なのか……という気づきはさておき、体型だけではなく、女は男よりも目立つな、偉くなるな、小さくなれと育てられる。
「ジェンダーの呪い」に殺された母
私の母は50代の時に拒食症で亡くなった。母は23歳で結婚して専業主婦になり、40歳目前で夫から離婚されて、酒におぼれて自傷行為をするようになった。
当時中学生だった私は「お母さん、ちゃんと自分の足で立ってよ」と思っていた。でも大人になって「母は自分の足を奪われたんだ」と気づいた。1950年生まれの母には、結婚して夫に養われる以外の選択肢がなかった。つまり、自己決定権がなかったのだ。
ミイラみたいにやせ細った母の遺体が発見された部屋は壁一面に20代のギャルが着るような服がかかっていて「母はジェンダーの呪いに殺されたんだな」と思った。
「若く美しい女が男に選ばれてハッピーエンド」という呪いにかかったまま、死んでしまったんだと。