真因は消費者たちのボイコットにあった

それが、ジェンダーの視点を持ち込むと話が違ってくる。石鹸の独占が失敗したのは、手荒れを起こした女性たちが独占下で出回った低品質石鹸をボイコットしたからです。洗濯婦をやめてしまった女性だっていたかもしれません。この点は誰も指摘してこなかった。

撮影=門間新弥
山本 浩司さん

この視点に立つと、消費者としての女性がもつパワー、消費者を無視した国策の問題、当事者が意思決定に参加していないズレ、ジェンダー的な役割分担……さまざまな視点が見えてきます。

洗濯婦のほとんどは読み書きができなかったので、当事者が書いたものは残っていない。男性たちが書き残したものに「女性たちは洗濯をサボって不平不満ばかり言っている」と出てくる。かき集めれば洗濯婦たちの経験が浮かび上がってくるはずです。

【山崎】歴史家の研究ってやっぱりすごい。感動しました。

山本さんの話を聞いていると、1つの歴史的事実を発見するまでには、背景に膨大かつ緻密な作業があることに驚きます。1つのものを世に生み出す歴史学的アプローチは、ビジネスに通じるようにも感じます。

欠けているのはディテールを積み重ねること

【山本】石鹸の研究ができるのも、詳細な記録が残っているからです。例えば独占に反対する署名をロンドン市長に届けたことが理由で尋問を受けた商店主の陳情書には、1633年にテムズ川沿いのある教区に住んでいた3人洗濯婦たちの名前が言及されていました。

当時の裁判の記録や教区教会の史料から、そのうち1人エリザベス・タッカーさんについては、およそ29歳で結婚し、33歳の時に男の子を産んだことがわかります。

ロンドンのスラム街で仮住まいをしていた貧民の調査が1637年に行われていたので、その記録から生活の様子を知ることもできます。貧しい家族ならば例えば1部屋に一家8人が暮らし、ベッドは1つしかなく、生活用品は屋外の路地に置いたなどの生活様式までわかってくる。

こういう女性たちが消費者として国策企業による独占に反対をしていたのです。

一般的な教養講座で、圧倒的に欠けているのはそのような情報ではないでしょうか。

たとえば、メディアもそうです。プレジデント誌はじめ、ビジネス系メディアではよく「ビジネスに立つ歴史学入門」というようなテーマで特集が組まれたりしています。実際どこまでがファクトに基づいた話なのか、歴史学者から見て、怪しいものも多いと感じます。

エビデンス・ベースドと呼ぶならば、多様な史料を発掘してそこからディテールを積み上げなければいけないということです。