闇の中に耳を澄ますと、惨忍な咀嚼音が…
静江は、長男一二三と夫豊次郎の絶叫を聞いて肝を潰し、カンテラに火をつけ戸外に駆け出した。
すると夫は無残にも大熊に組み敷かれている。
「アッ」と悲鳴を上げた静江に大熊が襲いかかる。自宅へ引き返す間もなく背中に噛み付かれ、頭部、腹部、臀部など13カ所に重傷を受けた。
近隣の佐々木家でも男女の悲鳴を聞き付けていた。はじめは熊澤家の夫婦喧嘩だろうと思ったが、夫婦で駆け付けると、静江が大熊の一撃で最期を遂げようとしており、「ワッ」と驚いて命からがら熊澤家に飛び込んだ。
静江は付近の黍畑に這い込んだが、大熊は豊次郎の死体を喰らい始めた様子で、闇の中に耳を澄ますと、惨忍な咀嚼音が聞こえた。
胸から下が全部喰い尽くされ、見るも無残な有様…
夜明け頃、大熊が立ち去った後になって外を覗うと、豊次郎は胸から下が全部喰い尽くされ、見るも無残な有様だった。
長男一二三も約10間ほど離れたところで紅血に染まって死亡していた。
佐々木夫婦は直ちに警察署役場病院に急報し、時を移さずに村民等280余名が参集した。
この時多くの村人が、酸鼻を極める事件現場を目の当たりにした。安西は事件当時4歳であったが、この時の様子を鮮明に覚えているという。
「朝方集まって見た時には、散乱した死体の残骸が昨夜来の雨で洗われ白茶けて見えるのも本当に哀れで、そのむごたらしさには誰もが声が出なかったという」
ただちに熊狩りが行われ、約100間先の楢林に大熊が潜伏しているのを発見し、見事に射殺した。身長7尺余(約2.1メートル)、体重140貫目(525キロ)という巨大なヒグマであった。
地元郷土史研究会会員、玉置要一の遺稿には、仕留められたヒグマの様子が詳述されている。
「倒した熊を土橇に積み、集まった人々の手によって河原まで運び出し、皮を剝ぎ解体した胃袋を開くと、中から熊沢さんのものと思われる肉片、骨、衣類、ソバなどが団子状となって出てきた」(『アイペップト 第2集』愛別町郷土史研究会)