力の体系:若槻の反論

これに対して若槻は、〈理論より現実に即してやることが必要でないかと思う。力がないのに、あるように錯覚してはならない。したがって日本の面目を損じても妥結せねばならないときには妥結する必要があるのではないか。たとえそれが不面目であっても、ただちに開戦などと無謀な冒険はすべきではない〉と反論する。さらに東條は〈理想を追うて現実を離るるようなことはせぬ。しかし、何事も理想をもつことは必要である。そうではないか〉と応じ、若槻は〈いや、理想のために国を滅ぼしてはならないのだ〉と反駁する。

東條は日本にとって重要な「価値」に依って対米戦争やむなしと主張し、若槻は自国の「力」を冷静に見極めて、不面目であっても対米開戦に反対した。しかし、肥大した「価値」の体系が「力」の体系を抑え、1941年12月8日を迎える。当時、戦争や事変のたびに部数を伸ばした新聞各紙、知識人、世論も「価値」の体系を肥大させていた。その結果、日本は壊滅的な敗北を喫した。

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日本政府のウクライナ戦争への対応

さて、日本政府のウクライナ戦争への対応を、「価値の体系」「力の体系」「利益の体系」の三要素で見た場合、どのようなことが言えるだろうか。

「価値の体系」は、今年5月に来日したバイデン米大統領と岸田首相との会談に端的に表れている。

〈ロシアのウクライナ侵攻についてバイデン氏は、「日本はほかのG7各国とともに、プーチン大統領の責任を追及し、民主主義の価値観を守るために取り組み続けている」と評価。岸田氏は「力による一方的な現状変更の試みは、世界のどこであっても、絶対に認められない」と述べた〉(2022年5月23日、朝日新聞デジタル)

日本がアメリカの対ロシア政策を支持していることをバイデン氏は評価している。別の言い方をすれば、日本は対米従属のために、自主性を発揮できていないとも言える。この見方は半分正しく半分正しくない。

「価値の体系」ではアメリカに従属する日本だが「利益の体系」では…

確かに、「価値の体系」において、日本は過剰とも言えるくらいアメリカと同一歩調をとっているが、「利益の体系」になると様子が変わってくる。

たとえば、ロシアのウクライナ侵攻後も、G7の中で唯一、ロシア航空機による自国領空の航行を認めているのが日本だ。それによって日本がシベリア経由でヨーロッパへ至る最短航路を確保できている。

さらに、ロシア・サハリン沖の石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン1」「サハリン2」の枠組みに日本は留まる姿勢を崩していない。

「サハリン2」については、6月30日、プーチン大統領が、運営主体の再編を命じる大統領令に署名したことから、枠組みの先行きが見えなくなっているが、形式は変わっても「実」の部分に大きな変化はないと筆者は見ている。8月末、ロシアは三井物産と三菱商事に「サハリン2」の新たな運営会社の株式取得を認める決定をしたので筆者の見通しは間違っていないと思う。

もう一点、金額ベースでは小さいが、ロシア側に入漁料を払ってサケ・マス漁を行う枠組みも残している。このように利益の体系においては、必ずしもアメリカや他のG7諸国に同調しているとは言えない。