書き言葉としての漢語、話し言葉としての和語

語彙の貧相化は主に(1)漢語や和語(大和言葉)の伝承の途絶、(2)読書慣習の衰え、に起因すると思われる。

ちなみに漢語とは音読みの漢字によって構成された語のこと。中国起原の言葉が国語化したものを指す。和語は、辞書や事典などでは日本本来の言葉とされるが、漢語が日本語の伝統的な語彙として定着しているため、この「本来の」という定義はあまり意味をなさない。和語の漢字表記は訓で読まれる。さらに和語には送り仮名が付くことが多い。例えば「躊躇ちゅうちょ(する)」という漢語は、和語では「躊躇ためらう」と表記する。どちらも「迷って決心がつきかねる」の意。

一般に、和語系の言葉は、繊細な感受や感情を〈如実〉に表出できる反面、抽象的な概念を指示する名詞が少なく、論理的な思考に向いていないとされる。これに対し、漢語系の語彙においては抽象語も豊富で、クリアカットな表現が可能だ。ロジカルな思考に適しており、理論を表記するのに向いている。しかし、まさに和語の反対で、感受の仕方や感情の動きなど微妙なニュアンスを漢語では表出しにくいという欠点がある。

さらに用途に違いがある。和語は、耳で聞いてわかりやすいので、話し言葉に向いている。漢語系の言葉は、書き言葉としては簡潔で優れているが、同音異義語が多いため、会話や談話で多用すると誤解の余地が大きくなってしまう。そこで、テレビ、ラジオ、講演、講義などでは工夫が凝らされている。

例えば「首長しゅちょう」という漢語がある。主に地方自治体の長、都道府県知事や市町村長を指すが、談話ではこの「首」を訓読みして「クビちょう」と称することがある。これは聞き手が、音の似ている「市長」と混同しないための工夫だ。ちなみに『広辞苑』も第七版で「くびちょう」を採録した。引用しておこう。

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くびちょう【首長】シュチョウ(首長)をシチョウ(市長)の音と区別するためにいう語。

「化学」の「化」を訓読みして「バケがく」というのも、同音異義の「科学」との混同を避けるためである。同じ理由で「私立」を「ワタクシりつ」、「市立」を「イチりつ」などと読み分けることもある。

和語、漢語のそれぞれに一長一短がみられる。

◎にょじつ【如実】実際さながら、事実そのままであること。「空爆による惨禍を如実に伝える映像」