ビジネスの世界で意味が通りづらい「カタカナ英語」を使う人がいる。評論家の宮崎哲弥さんは「彼らは知識をひけらかしたいだけだ。こうした言葉の台頭は、日本でも語彙の格差が生じつつあることを感じさせる」という――。

※本稿は、宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

凡 例
本書で辞書的定義を書き出す際は、文頭に●を置いた場合には章や節のテーマに沿った見出し語の意味を掲げ、◎を置いた場合には、章や節の主題とは直接関係なく、文中に現れた重要語句の意味を掲示する。またそのように、辞書的語釈等を特記する見出し語に関しては、直前または直後にその語句を〈 〉で括り、〈諸賢〉の注意を促す。

●しょけん【諸賢】多数の人に対して敬意を込めて呼ぶ語。代名詞的にも用いる。皆さん。「読者諸賢のご〈健勝〉を祈ります」

◎けんしょう【健勝】健康で元気なこと。また、そのさま。すぐれてすこやかなこと。

という具合である。

本稿では、インターネット上の公共図書館、青空文庫に公開されてある著作権切れの作品から例文を引いている。この引文(=引用文)については、とくに《 》で囲った。読者の〈便宜〉に〈鑑み〉、青空文庫掲出の原文が旧仮名遣(歴史的仮名遣)のものは新仮名遣(現代仮名遣)に改め、漢字の旧字体は新字体に直し、かつ〈適宜〉ルビを付加した。

また語釈、例文等の補足説明には、その先頭に※を置いた。

「基本語彙」と「高級語彙」

私は、この本を「ワンクラス上のボキャビル(“vocabulary building”=語彙増強)」のための実用書として世に送り出す所存である。

実用書とは、文字通り、実用に供する内容を著わした本に他ならない。

だが、実用とは何だろうか。実際に人生の、生活の、仕事の、時務の用に役立つの意である。

「高級語彙」という言葉がある。言語学者の鈴木孝夫の考案によるが、彼は「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」群を「基本語彙」と規定し、「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」とした(鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書)。

鈴木のいう「高級語彙」とは各分野の術語、テクニカルタームに近い。

そして鈴木は、英語の高級語彙(=専門用語)は門外漢にはなかなか理解できないという。

例えば“agoraphobia(アゴラフォビア、広場恐怖症)”という神経症の病名がある。これは本来、広場のような広々とした空間にいると恐怖や強い不安を持続的に感じる病気のことだが、昨今では公共交通機関等でも発症し得るとされている。

“agoraphobia”の意味は字面だけでは取れない

この語は“agora(アゴラ)”という「公共の場」を意味する古代ギリシャ語と、やはりギリシャ由来の「恐怖症」を意味する接尾語“phobia(フォビア)”が組み合わさったものだが、英語圏において医師などの専門家ではない人が、そうした古典語の知識や教養抜きにパッと“agoraphobia”を示されてもまったく意味が取れない。然るに、日本語ならば「広場恐怖症」という字面をみただけで、医師ならずともだいたいの人がその意味内容を推測できる。鈴木はいう。

トルコのエフェサス古代遺跡
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なぜこのような違いが日本語と英語の間に見られるのかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組合せで造られているのに、英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである。(前掲書)