言葉のレパートリーの少ない「ボキャ貧」のデメリットとは何か。評論家の宮崎哲弥さんは「ボキャ貧はわずか60年前の新聞記事や文章を読めないだけでなく、世界が貧相に見える。『ボキャ富』になれば他人の認識や感覚の細やかさが手に取ってわかるようになる」という――。

※本稿は、宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

日本語の聖書
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凡 例
本稿で辞書的定義を書き出す際は、文頭に●を置いた場合には章や節のテーマに沿った見出し語の意味を掲げ、◎を置いた場合には、章や節の主題とは直接関係なく、文中に現れた重要語句の意味を掲示する。またそのように、辞書的語釈等を特記する見出し語に関しては、直前または直後にその語句を〈 〉で括り、〈諸賢〉の注意を促す。

●しょけん【諸賢】多数の人に対して敬意を込めて呼ぶ語。代名詞的にも用いる。皆さん。「読者諸賢のご〈健勝〉を祈ります」

◎けんしょう【健勝】健康で元気なこと。また、そのさま。すぐれてすこやかなこと。

という具合である。

本稿では、インターネット上の公共図書館、青空文庫に公開されてある著作権切れの作品から例文を引いている。この引文(=引用文)については、とくに《 》で囲った。読者の〈便宜〉に〈鑑み〉、青空文庫掲出の原文が旧仮名遣(歴史的仮名遣)のものは新仮名遣(現代仮名遣)に改め、漢字の旧字体は新字体に直し、かつ〈適宜〉ルビを付加した。

また語釈、例文等の補足説明には、その先頭に※を置いた。

日本人に「忖度」という単語を広めた森友学園問題

〈忖度〉という熟語の運命も奇妙な成行きを辿った。2017年に持ち上がった、いわゆる「森友学園問題」にまつわって、新聞の政治面やニュース番組などでこの言葉が盛んに取沙汰されるようになるまでは、一般にはこの語の意味はおろか、読み方すら碌に知られていなかったのだ。私は時折、使っていたが。

●そんたく【忖度】他人の心中を推し量ること。「他人の心の〈機微〉などあまり忖度できないし、自分の経験にも重きを置かない」

◎きび【機微】表からはなかなか察することのできない人心の微妙な動き、表面にははっきりとはあらわれない物事のゆらぎ、移り変わり。「人情の機微に触れる」「男女の機微に通じている」「機微を〈穿つ〉」

◎うがつ【穿つ】(本来は「穴をあける」「突き通す」こと)物事の本質や人情の機微を的確に捉え、表すこと。表に出ない事情などを明らかにすること。「穿った見方」「微に入り細を穿つ(=非常に細かい点まで気を配る)」「真相を穿つ」

※作例にある「穿った見方」の意味は、「穿つ」の語義を踏まえれば当然に「物事の本質、あるいは隠れた真相を捉えた見方」となる。ところが世の〈大宗〉が、「穿った見方」を「深読みし過ぎで、的を外した見方」と解しているという。しかし、これを正しくいうなら「穿ち過ぎの見方」のはずだ。「穿ち過ぎ」とは「物事の本質を捉えようとして度が過ぎ、かえって事実から離れてしまう」こと。この「穿ち過ぎの見方」を「穿った見方」と取り違えてしまったことが誤用の原因だろう。

◎たいそう【大宗】大部分。おおかた。大多数。大半。「大宗を占める」「大宗をなす」

※本義は「芸術などの分野の大家」を指す。「大部分、大半」という語釈を載せていない辞書も多い。この意味での「大宗」が多用されるのは主に官界においてであり、一種の「霞が関用語」であるともいわれる。確かに省庁のウェブサイトをみると「石油について、エネルギー資源の大宗を輸入に頼っている我が国としては……」(外務省)などとあるし、元内閣情報官(北村滋)も新聞のインタヴューに答えて「今後は行政法の大宗をなす事業法などに盛り込むことも検討に値する」と発言している(「政界Zoom/経済安保、公正な競争促進 企業は長期的視点を」日本経済新聞2021年10月15日付け夕刊)。だが、元官僚の政治家はいうに及ばず、官僚経験のない茂木敏充らもこの語を「大半」の意味で用いており、一般化しそうな気配もある。

熟語を構成する「忖」も「度」も、どちらの字も訓では「はかる(忖る、度る)」と読むが、とくに「忖る」は「おしはかる」とも訓読みする。人心を推す、の意味だ。「度」は通常、物理的に測定するという意味で用いられる。「度量衡」などがそうだ。「忖」という文字にいたっては、「忖度」以外にこの字の入っている熟語を知らない。