テレビや新聞の「言葉の平明化」が与えた影響

もう一点、語彙の貧困化の要因を挙げるとすれば、国をこぞっての「言葉の〈平明〉化」運動である。1980年代以降、テレビや新聞から「難しい言葉」を排除しようという方向に世の中全体が〈傾いで〉きた。ニュースや情報番組では、物事を「平明な言葉」で伝えることが嘉され、その結果として、思考も感性も単純化、平板化の一途を辿った。他方で、先にみたように、ビジネスの世界ではわけのわからないカタカナ洋語が〈席巻〉し、英語圏を〈彷彿〉させる語彙の格差が生じつつある。

●かしぐ【傾ぐ】傾く。向きが片寄る。斜めになる。

《やがて、青葉を縫って、青い月光は地平線にかしいだ》(小川未明『森の暗き夜』)

※「縫う」は、ここでは「事物のあいだを通って進む」の意。

《つづいて二度、大きな震動があって、物見台がグラリと傾いだ》(久生十蘭『呂宋の壺』)

●へいめい【平明】わかりやすく、明快なこと。「平明な解説」「平明に記す」

●せっけん【席巻/席捲】原意は、席を巻くように次々と領土を攻め奪うこと。転じて、勢力範囲を急速に拡大すること。「たちまち市場を席巻した」「1918年から19年にかけて世界を席巻したスペイン風邪」

《いつかまだ吉本が今日のように東京興行界を席巻しない以前、早くもそこへ身売りして行った芸人に芸人魂のあるのはいないと放言したことがある》(武田麟太郎『落語家たち』)

●ほうふつ【彷彿/髣髴】ありありと目に浮かぶこと。何かをみて、それとよく似ているものを思い浮かべるさま。

※〈彷彿〉には名詞形と形容動詞形の表現があり、意味はだいたい同じなのだが用法が若干異なる。名詞形の場合は「する」「させる」を伴って、「その光景が眼前にいまなお彷彿する」「バブル期を彷彿させる」などと使う。一方、形容動詞形の場合は「とする」「とさせる」「たり」などを伴って、「ふるさとを彷彿とする」「故人の面影が髣髴として目に浮かぶ」「マンガの登場人物を彷彿とさせる」「亡父に髣髴たり」という具合に用いる。

古文に馴染みがなくても上級語彙は身に着けられる

本稿はこうした状況に一石を投ぜんとする。「一石を投じる」とは「問題を投げかける」の義である。これは問題を投げかける実用書なのだ。

宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)
宮崎哲弥『教養としての上級語彙』(新潮選書)

オリエンテーションも兼ねて、この「ワンクラス上の日本語ボキャビル」のため、上級語彙を〈自家薬籠中じかやくろうちゅうのもの〉とするための本の、やや型破りなスタイルと用途を説いてきた。

●自家薬籠中のもの 手もとの薬箱の中の薬品のように、いつでも自分の思う通りに利用できる物や人など。思うさま使いこなせるもの。

本稿は〈喫緊〉の課題に応えるべく、漢籍や古文に馴染まずとも、それと同等に、いまの時代に必要な上級語彙を身に付けることを目的とする。これを読めば、ワンランク上の語彙を適切に、自在に運用できるようになるはずだ。

これは知的営為を豊かにするための基本装備なのだ。

●きっきん【喫緊/吃緊】さし迫って大事なこと。重大案件の解決が切迫しているさま。「信頼性向上が喫緊の要請だ」

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