学生の学力が大幅にアップした時期もあったが…

しかし、ある時期、学生の学力が以前よりも大幅にアップしたそうだ。古川さんはその時のゼミ記録を今でも保存しているが、それは1996年前後に4年生となった学生のものだ。

「この時は学生の学力や能力が高く、大学側は急遽、学生のレベルに合わせた授業を教員に要請してきました。私も卒業研究に関わりましたが、インターネットも今ほど普及していないこともあって、きちんとした文献資料を読んで、しっかり考察できる学生がいて驚きました」と古川さんは語る。

文部科学省の調査によれば、18歳人口がピークとなったのは1992年である。この頃は大学進学への意欲も向上していたが、大学や学部の増設は早計にはできない。そのため大学受験が最も厳しかった時期である。

従来であれば、一般受験でもっと偏差値の高い大学に合格する層の受験生が、B大学に入学してきたのだ。古川さんの体験は、大学に関する全国的な動きにまさに合致している。古川さんを始め当時の大学教員を驚かせた学生の学力差は、出身高校の学力差が反映したものと考えられる。

古川さん所有の当時の記録から、学生の出身地は関東地方に留まらず、東日本の広範囲に及んでいることがわかる。バブル崩壊の影響がまだ日本社会に深く及んではおらず、実家を離れて大学生活をさせる経済的余力がある家庭に生まれた学生が多かったことが推測できる。

「おたくの大学を志願する生徒はいないので」

古川さんは、この時期の学生の卒業論文を保管していたので見せてもらった。それらからは、この時期の学生には資料の読解力や学術的な文章の書き方など学修の基礎力が身に付いているとわかった。

バブル経済崩壊の影響が大卒求人に出ている時期だったが、B大学としては就職状況も良好で、当時、花形だった大手建設業や金融業等に複数人が入社している。「あの時は、この学生のレベルが続いてくれればと思いました。ですが、あっと言う間に元の学生レベルに戻りました」と、古川さんは残念そうに語った。

その後、有名大学の定員増や学部増設、それなりの知名度のある短大の4年制大学化などが続き、一時期B大学に入学した学力層の高卒生はそちらに動いていく。さらに、経済不況が長引き、地方からB大学に入学する学生は減り、必然的に大学周辺地域の高校から志願者を掘り起こそうとすることになった。このような動きはB大学だけに起こったことではなく、各地にある知名度も入試偏差値も高くない大学で同様に見られたことだ。

2000年代前半は、志願者を少しでも増やしたい大学が高校への広報活動である高校訪問を盛んに行った時期である。古川さんも関東地方で度々高校訪問を行った。その際に、高校側の大学を見る視線の冷酷さに気づいたという。

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「大学の方針で、いわゆる進学校も訪問しました。こちらは大学の特色等を説明するのですが、気のない表情で一応話を聞いてくれるものの、最後は『うちからはおたくの大学を志願する生徒はいないので』と言われました。受験の偏差値できっちりと固定化した大学ランキングの一角を崩すのは、大学側が一生懸命努力しても難しいと感じました」と、当時を振り返る。