アメリカ合衆国の登場―─13の独立主権国家による集団的自衛

しかしこの「ヨーロッパ国際社会」において、恒常的な集団的自衛権に類する制度は、発達しなかった。「ヨーロッパ国際社会」が、他の時代あるいは他の地域の広域秩序と異なっていたのは、「バランス・オブ・パワー」に基づく原理で力の均衡が計算されていたことだ。「ヨーロッパ国際社会」の「共通の制度」の骨格を形成していたのが、「バランス・オブ・パワー」であった。

この「バランス・オブ・パワー」を「共通の規則と制度」にした「ヨーロッパ国際社会」の秩序原理に、真っ向から挑戦をした国家が18世紀末にヨーロッパの外で現れた。その国家とは、アメリカ合衆国である。

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大英帝国が北米大陸に持っていた13の植民地は、「代表なくして課税なし」を合言葉に、イギリス王に反旗を翻した。いわゆる独立戦争の開始である。1776年にトマス・ジェファーソンが起草した「独立宣言」を公表して、戦争の正当化原理を図った。それは、イギリス名誉革命の理論的な基盤を提供したジョン・ロックの革命権の議論に依拠した社会契約論の議論であった。

留意すべきは、「独立宣言」の主体が、「アメリカ合衆国」という単一の存在ではなかった点である。「13のアメリカ連合国の全会一致宣言(The unanimous Declaration of the thirteen united States of America)」という「独立宣言」の名称は、13の植民地が、そのまま13の主権国家として独立する行程を反映している。

実際のところ、独立戦争後も、1788年にアメリカ合衆国憲法が発効されるまでの期間において、13の独立した主権国家が北米大陸に存在していることは、誰もが疑うことはない一つの事実として受け入れられていた。

互いに平等な主権国家が、共同で軍隊を展開

独立戦争においては、ジョージ・ワシントンが「連合国」(united states)側の総司令官であったが、それは13の主権国家の独立性を侵害しない。ただ、イギリス王という共通の敵に向かっていくにあたって、同じ境遇にあった13の新興独立諸国が、共同で軍隊を展開させたことを意味する。

その13の主権国家の統合軍を統括するために、一人の総司令官が任命されていた。これはいわば第二次世界大戦の際に、連合国諸国が、アメリカ軍の司令官を、連合国諸国の総司令官として認めていた状態に似ている。