封建的な「長男教」が根深く残る地方

筆者は横浜市で生まれ育ち、結婚して千葉県に住んで、20年前に家族5人で長野県に移住した。ここからは、首都圏出身者である筆者が地方に20年間、越境学習して気づいたこと、体験したこと、聞いたことも含めて執筆することをお許し願いたい。

地方での生活は、自然が豊かで食べ物が美味しいといったメリットがある一方、その社会は一般に封建的というデメリットがある。保守的・閉鎖的というより、封建的なのだ。地方では家父長制が強く、家族の中で父親の意見が絶対視されている。また長男教と呼ばれるように、子供の中で跡継ぎとする長男だけを優遇する。

さらに「男衆・女衆」という言葉に象徴されるような男女の固定的な役割分担が、地域社会や家庭に根強く存在している。各家庭のことは外の人間にはわからない。以下は、実際に私が長野県という地方に20年間住んで地元の人たちから聞いた話である。

家父長制というのは、家長である父親の意見が家の中では絶対的に正しく、他の家族の意見が聞いてもらえない状況である。そうした家父長制では、夫婦喧嘩や親子喧嘩というものが存在しない。妻は夫に意見をしたりせず、子供たちは成人していたとしても、男女を問わず父親の意見に異を唱えたりしないからである。

首都圏出身者である筆者は、親子喧嘩や夫婦喧嘩を繰り返して家庭生活を送ってきた。そういう筆者からすると、家父長制というのは、家族の中でお互いの気持ちを本音で話し合わない制度であるように思える。そして家長の意見が必ずしも正しいとは限らないことにも留意すべきだ。

親戚の集いでは長男の嫁はひたすら食事の用意

長男教とは、子供たちの中で長男だけをあらゆることで優先することである。長男教の親は、「長男は家業を継いだり公務員になったりして地元に残ってほしいが、それ以外の子供たちは出て行ってもいい」と考えている。そして、「子供の中で、長男が常に最初に風呂に入る」というような長男優先が、子供の頃から執拗しつように繰り返される。

他の子供からすれば、そうしたことは理不尽でかつ不公平であり、子供の時のつらい思い出になって、地元や実家にUターンする気持ちを削ぐ。つまり「長男だけが地元に残ればいい」という長男教は、長男以外の子供たちがUターンをしなくなることで、地方の人口を減少させることにつながる。

また、そうした「長男教」の両親は、「長男の嫁がすべての家事を担うべき」という考え方を持っている。例えば盆や正月に親戚一同が集まった時には、長男の嫁だけが朝昼晩、すべての家族分の食事を作り続けるそうだ。こうなると「長男の嫁になる」ことを望まない人が増えても無理はない。

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それゆえに地方の長男には嫁が来なくなる。もしくは都市で結婚した長男がUターンしようとしても、「長男の嫁」の役割をしたくない妻からUターンを反対される。こうして頼みの長男が結婚できない、もしくは地元にUターンできないことになり、地方での人口減少は一層進むことになる。

そして地方では家庭や地域の行事は、「男衆・女衆」によって執り行われる。つまり様々な役割が性別で分けられているのだ。盆や正月や地域行事の際に、男衆は酒を飲んで食べている一方、女性は食事を準備し、また後片付けをするというように役割が分かれるのである。おとなしく「男衆・女衆」というローカルルールに従っている母親は、娘にこう告げるそうだ。「ここは、嫁に来るところじゃない」。

その言葉を聞いた娘は、どこか別の場所に行って暮らすことを選択するだろう。もしくは母親が言わなくても、若い女性は「男衆・女衆」の根強い地域から出て行き、都市で自由に暮らすことを選択するだろう。