チーム内で信頼を築けなかったフェラーリの失態

たとえば、今年の第7戦モナコGP。路面がウェットコンディションからドライへと変わっていく難しい状況のなかで、チームからの無線の指示を受け入れ、それを忠実に遂行したレッドブルのセルジオ・ペレス選手が逆転優勝を果たした。一方、チームのストラテジー(戦略)に不満を抱いたフェラーリのカルロス・サインツ選手は無線での指示を無視し、ピットインを1周遅らせた。そのことによってすべての計画にずれが生じ、結果、2位に沈んだのだ。

つまりこれは、サインツ選手を従わせるだけの関係性がフェラーリのチーム内に築けていない、ということである。レッドブルは、たとえワールドチャンピオンのフェルスタッペン選手でさえ、ピットの指示に抗うことはない。もちろん、レッドブル代表のクリスチャン・ホーナーも規律違反を絶対に許さない。

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とはいえ、ホーナーが強権型のリーダーかといえば、決してそんなことはない。彼は部下をとことん信頼し、大きな権限委譲を行なっている。それは直属の部下に限ったことではなく、ピラミッドでいう4番目や5番目のスタッフに対しても彼の接し方、委ね方が変わることはない。

部下を信頼したうえで「放任主義」を貫く

ホーナーと並べるのもおこがましいが、ぼくのマネジメントスタイルも彼の権限委譲と似ていて、そのスタイルを「放任主義」と称している。企画が決まり、ゴールがどこかという意識を共有できたら、あとは担当者に一任する。もちろん、ステークホルダー(利害関係者)が不利益を被りそうな状況などになれば声をかけるが、基本的に手取り足取り指示を出すことはない。

担当者が業務に不慣れであったりすると、着地が60点ほどになってしまうことがあるが、それが60点で終わったときに担当者が感じる悔しさ、もう二度と同じことは繰り返さない、という決意こそが、じつはその人を成長させる原動力になる。

なおかつ「放任主義」は、担当者に当事者意識を植えつけることができる。ほんとうにそのプロジェクトを自分ごととして、全身全霊で取り組もうという意識になれば、モチベーションは大きく変わってくるし、思いもよらないアイデアも生まれる。さらに現場に権限委譲すれば、組織の意思決定のスピードも跳ね上がるという利点もある。

しかしホーナーもぼくも、権限移譲や「放任主義」だからといって現場をないがしろにしてはいない。むしろ逆である。ホンダに息づく“現場”で“現物”を見て、“現実”の問題に立ち向かっていく「三現主義」というフィロソフィーは、ぼくがホンダから学び、何よりも大切にしていたことだ。

ともに働き、どんな思いを持って仕事に挑んでいるのか。そうしたことは、下から上がってくる報告書だけで計り知ることはできない。だからこそ、逆に現場のスタッフは目前の対象に日々翻弄されてしまうのがつねである。そこである程度の大局観をもって、現場の実態とあるべき方向性を統合し、即断即決の判断をしていくことこそ、マネジメントの本質ではないだろうか。