ただ、肝心なことは、自分の中にある「太陽的」な自己と「月的」な自己という2つの異なるベクトルが矛盾を抱えながらも共存しているという枠組みで、自分自身と向き合うことなのだ。
自分という存在はそれ自体が「ミステリー」
本書には、「あなたはこんな人」という一面的な解説はほとんどない。例えば僕の太陽は魚座、月は牡羊座で「繊細で内向的な詩人」と「自信に満ちた改革運動者」が内在し、「おそろしくわがままで」でも「誰よりも心優しい」という僕の矛盾が指摘されている。
言葉尻だけつかまえると皆に当てはまりそうなことではあるが、僕本人としてはこの一言は深く胸に刺さるのである。
どの組み合わせを見ても、実はその中に矛盾したことが書かれている。それだけに本書を楽しむには少しだけ「知性」と「成熟」が要求されると思う。それは自分自身が矛盾と多様性に満ちた存在であるということを受け入れられるだけの大人であることを要求するのである。
自分はこんな人! と単純に決めつけてすっきりしたい人には、本書はどこかで歯がゆさを残してしまうことになるだろう。
本書は行間から訴えている。あなたという存在は、簡単に分析し、解決できるようなパズルではなくて、言葉本来の意味での深い「謎」(ミステリー)なのだ、ということを。
性格こそ運命なり
そしてもう1つ、僕は本書を見ていて現代占星術がモットーとしてきた格言を思い出す。それは“Character is Destiny”である。「性格こそ運命なり」とでも訳せるだろうか。
これは20世紀初頭に現代占星術の父と呼ばれるアラン・レオが好んで用いた標語だが、それは紀元前の哲学者ヘラクレイトスに遡るものだという。
性格が運命をつくるのか、あるいは運命が性格を与えるのか、卵が先か鶏が先かのような、これまた謎めいた禅問答のような標語であるが、いずれにせよ、自分自身の人生を見つめるには「性格」について改めて考えることは避けて通れないだろう。
長い伝統を持つ占星術という装置は、鵜呑みにするのではなく、もうひとつの自分を見るツールとして賢く使えば、きっと思った以上に役に立つのではないだろうか。