家にミニチュア寺院と神社を構えるのは日本人くらい

参考までに、日本のほかに「無宗教」の割合が高い国は中国、北朝鮮、チェコ、エストニアなどである。

中国共産党は無神論を掲げ、文化大革命期には宗教施設に対する破壊が行われた。現在の中国は宗教に関して比較的寛容とされているが、文革時代の影響を少なからず引きずっている。チェコも戦後の長きにわたって、共産政権時代が続いた。独裁国家の北朝鮮においては、そもそも信教の自由がない。バルト三国のエストニアは、ソ連に併合されていた時代の宗教に対する抑圧が影響している。

ちなみにロシアは、共産主義時代は宗教を否定していたが、ソ連邦崩壊によって信教の自由が認められ、現在ではロシア正教がおよそ4割を占めている。現在、ロシアでも無宗教の割合が多いとされているが、日本ほどではない。

日本は明治維新時の廃仏毀釈きしゃくを除けば、伝統教団への宗教弾圧はあまりなかった。むしろ、歴史的には国家が仏教や神道を庇護してきた経緯がある。なのに「無宗教の割合が多い」という珍しい民族なのだ。

しかし、「日本人は本当に無宗教なのか」を、疑ってみたい。

ISSP調査の「神仏を拝む頻度」の設問では、「1日1回以上」が17%、「月1回〜週数回」が14%、「年数回」が48%であった。「ほとんどない」は21%だった。この設問では、8割の日本人が「神仏を拝む」ことを拒絶しているわけではないことがわかる。

確かに年中行事を見回しても、日本人は一年に何度も宗教に接している。正月の初詣でには1億人近い人々が神社や寺院に足を運ぶ。また鬼を追い払う節分、春夏のお彼岸、お盆、地域のお祭りなど、伝統的な宗教儀式のほか、それぞれの家庭では仏壇や神棚を祀り、死者が出れば法要を繰り返し実施する。

仏壇はミニチュアの寺院であり、神棚はミニチュアの神社だ。自宅の中に、小型の宗教施設を構える国民は日本人くらいのものである。

また、お盆の帰省は、お墓参りがセットであることが多いはずだ。お墓参りのために、高速道路の渋滞が何十kmもでき、新幹線は乗車率200%超というすさまじい混雑が生まれるのである。

もっといえば、食事の前の「いただきます」「ごちそうさま」は、自分が生きるために犠牲になってくれた「命」に対する懺悔の表現といえる。これも立派な宗教行為だ。

こうしてみれば、日本人はかなり日常的に宗教に関わっているといえる。むしろ、生活の中に信仰が根付き過ぎているからこそ、あえて「宗教を意識しない」といえるのかもしれない。

シャイな日本人は、他者から信仰を問われれば無宗教を標榜するものの、決して「無神論者」ではない、といえる。