もうひとつ、鈴木の人生に大きな影響を及ぼした母親の言葉がある。小学2年生の時、自然や動物を特集したNHKの番組を観ていたら、母親が「生き物ってまだわかってないこといっぱいあるから、動物の学者とか面白いんじゃない?」とつぶやいた。
その言葉を聞いた鈴木少年は、小学2年生の文集に将来の夢を「動物学者」と書いた。
スズメのヒナとの出会い
父親の仕事の都合もあり、何度かの引っ越しを経て、10歳ごろに東京に戻った鈴木は、東京の国立市にある桐朋中学・高等学校に入学。そこで生物部に入り、同好の士と出会って、6年間、観察三昧の日々を過ごす。
この部活で、鳥と出会う。高校2年生の春に開催された文化祭の時、たまたま文化祭を見に来ていた一般の人が、生物部に「巣から落ちたようだ」とスズメのヒナを持ってきた。
巣立ちの練習をするヒナが道端に落ちてしまうのは珍しくなく、たいてい、近くで親鳥が見守っている。そのため、落ちたヒナはそっとしておくのがいいそうだが、それを知らず「かわいそう」と拾ってしまう人も多い。
部員がヒナを受け取った際、どこで拾ったのかを聞き忘れてしまい戻せなくなったため、やむを得ず、一時的に部室で保護することになった。数日後、元気になったスズメは、鈴木を覚え、餌をねだるようになった。その様子を見て、鈴木は「知性」を感じたという。
「それまではインコを飼ったりしていましたが、スズメのヒナとの出会いから、野鳥の暮らしがとても気になるようになったんです」
これを機に初めて本格的な双眼鏡を買った鈴木は、鳥の観察にのめり込んでいく。
「ヂヂヂヂッ」は「集まれ」と気づいた日
東邦大学の理学部生物学科に進んだ鈴木がシジュウカラの言葉に出会ったのは、2005年、大学3年生の時だった。2月、卒業論文のテーマを決めようと、軽井沢を訪れた。「1泊500円で宿泊できる大学の山荘がある」というのが理由で、「1週間ぐらい滞在すれば、なにかテーマが見つかるだろう」と気楽に考えていた。
前述したように軽井沢の森のなかには80種類以上の鳥が生息しているが、そのなかでもシジュウカラが多く、観察しているうちに「ずいぶん複雑な鳴き声をしているな。鳴き声の多様性がほかの鳥と比べてもずば抜けている」と感じた。
鳴き声に注目しながら身を潜めて観察していた時に、ハッとした。複数のシジュウカラが、エサ台に置かれたひまわりの種を食べに来た。そのうちの1羽が「ヒーッ!」と鳴いた瞬間、一斉に藪のなかに飛び去った。その1秒後、タカがエサ台に舞い降りてきた。シジュウカラを捕獲して食べるタカは、天敵だ。この時、鈴木は「タカが来たことを知らせたんじゃないか⁉」と感じた。