園遊会への出席を断る

「これは何かおかしい」

と誰もが気になり始めた矢先、さらなる変化が母に訪れた。

外出を極端に嫌がるようになったのだ。

母はアクティブな人で、家にいるより出かけるのを好んだ。友達と連れ立って、食事に行ったり映画を見に行ったりもしていた。

もちろん、家族と出かけるのも大好きだった。みんなで何か食べに行こうと僕が休みの日に誘うと、母は「待ってました!」とばかりのリアクションを見せた。

ファミレスでも居酒屋でもいいから、どこか食べに連れて行ってほしい。食べるのもお酒を飲むのも大好きな母は、家族で外食に出かけるのを心待ちにしていた。

また、母は対外的にも社交家だった。父の仕事の関係者を家に招いてもてなすのは得意だったし、父と会食に出かけるのも楽しみにしていた。

かつて父が藍綬褒章らんじゅほうしょうをもらった時も、母はとっておきのドレスを身につけて、喜び勇んで授賞式に出かけた。著名人ともおくすることなく挨拶を交わし、華やかなパーティーを心から楽しんでいた。

しかし、母に変化が生じ出したこの頃、父が勲四等を受勲した時には、以前とは打って変わってまるで興味を示さなかった。父とともに園遊会に呼ばれたこともあったが、行きたくないと言って出席を断っていた。

写真=iStock.com/pixelfit
社交家だった母の性格に変化が…

「うつの薬」を処方される

にぎやかな集まりが大好きな母が自ら出席を断るなんて、これはやはりただ事ではない。

僕と父はさすがに心配になり、母をできるだけ外に連れ出すようにした。

食べることが大好きな母のために、おいしいと評判のお店に連れて行ったりもした。

その甲斐あってか、しばらくは母も誘われるまま外出していた。

だが1年、2年と経つうち、母はほとんど外出しなくなっていった。食事に誘っても、「私はいいから、みんなで行ってきて」と言うようになってしまった。

外出が億劫おっくうなら、せめて電話で友達と話をしたらいいのではないかと思い、携帯電話を買おうかと勧めたが、母はこれもいらないと関心を示さなかった。

これはまずいと思った僕は、姉に頼んで、母に再び精神科を受診させることにした。

趣味に関心がなくなったり外出を嫌がったりするのは、うつのせいではないかと考えたからだ。

診察の結果、母はうつの薬を処方された。

だがいくら薬を飲んでも、母が以前の母に戻ることはなかった。