その味によって驚くべきことにコメのファンが生まれ、時折、採算度外視で山形の「つや姫」や「雪若丸」、北海道の「ゆめぴりか」を炊くとSNSで告知すると、コメ目当ての客が訪れるようになった。なかには、毎回コメの大盛り300グラムを2度おかわりして、一度に900グラム食べる猛者もいる。これだけ「コメ」が愛され、注目されることに、大曽根は手応えを感じている。

「コメ屋の時と違って、目の前でお客さんの反応を見られるのがいいですよね。コメがおいしいって言ってもらうことが、シンプルに一番うれしいです。父親の代からずっと携わってきたことだし」

倒産から一転、「うまい話」が続いた理由

大曽根が倒産の決断を下してから、間もなく4年。どん底からの巻き返しを振り返り、大曽根は「そんなうまい話ねえだろっていうのが続いちゃってますよね」と苦笑する。確かに、たくさんの友人、知人がおカネを貸し、知恵を絞り、彼を支えてきた。なぜ、そこまでするのだろう? と疑問に感じ、大曽根の兄貴分、國分さんに話を聞いた。

「大曽根は人に好かれるタイプだし、親身にさせるなにかがあるんですよ。愛し、愛されないとここまでしないでしょう。僕もいろいろな経験をしてきたけど、こんなに本気で人に力を貸したのは初めてです。僕はただ、彼に幸せになってほしいと思ったし、ほかに彼の手助けをした人も見返りを求めてる人はいないんじゃないかな。今の姿を見ると、幸せそうで嬉しいね」

この言葉を聞いて、ハッとした。大曽根に取材を申し込んだ時、こちらが挙げた候補日に「その日は母親の通院があるので臨時休業です」と返信があったのを思い出した。母親の通院に付き添うために店を休むオーナーは珍しいのではないだろうか?

大曽根は、コメ屋の時代から必死だった。商売がうまくいかなくても不貞腐れることなく、「親父の店を守ろう」と駆け回ってきた。コメトステーキのSNSには「母親の通院のために」と休日が記されている。その行動から、國分さんの言葉の意味がうかがえた。

今は個人事業主としてコメトステーキを運営している大曽根には、ひとつの目標がある。店の売り上げが伸びて、もう一度、会社組織を立ち上げる時が来たら……。

「会社名を『松栄米穀』にしようと思って。親父が作ったコメ屋の名前を復活させたいんです」

その日まで、コメを炊き、肉を焼き続ける。

筆者撮影
元米穀店のプライド。こだわりの白飯を求めて客が集まる
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