「批判」か「提案」かは二者択一ではない

「提案型野党」がなぜ間違っているかというと、その言葉自体に「提案型なのだから批判を前面に出してはならない」という圧力があるからだ。野党の役割は「批判も提案も」が当然であり、二者択一を迫る必要は全くない。それなのに、野党批判勢力が「批判か提案か」の選択を迫るのは、野党の役割を一部に限定させ、結果として弱体化させる狙いがあるからだ。泉執行部はそれを見抜けなかった。

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最大の失敗は、野党合同ヒアリングをなくしたことだろう。「提案型なのだから批判しているように見えるのは良くない」という、野党にあるまじき考えに陥ってしまった。共産党との選挙協力に当初消極的だったのも、連合への配慮というより「批判勢力に見られたくない」という意識があったとみられる。

こうして立憲は、衆院選以前に野党の存在感を高め、各種地方選挙などで野党勢力を勝利させ、衆院選直前に菅義偉首相の退陣という成果を生んできた最大の「武器」を、わざわざ放棄した。立憲は、国会での存在感をみるみる失っていった。参院選の敗北は火を見るより明らかだった。

「国会での存在感のなさ」という意味では、立憲と野党第1党の座を争う維新も、実は似たようなものである(その最大の原因は岸田政権の国会軽視にあることは言うまでもないが)。しかし、党幹部が大阪府知事や大阪市長の立場でメディアに露出する分、少なくとも有権者には維新の存在感の方が際立った。それが既成政党に飽き足らない層の「ふわっとした民意」に影響し、両党の比例票の得票差につながったことは否定できない。

「提案型野党」の失敗は、「提案型」それ自体にあるのではない。「提案型」を意識し過ぎて「批判」という野党固有の使命を忘れ、自公政権に居心地のいい国会を作ってしまったことにあるのだ。

立憲が提案すべきなのは政府案への「修正案」ではない

「提案型野党」については、もう一つ指摘しておきたいことがある。そもそも「提案型とは何を意味するのか」ということについて、大きな事実誤認があるということだ。

野党批判勢力が求めてきた「提案型野党」とは、政府が提案する個別の法案への「対案」「修正案」を提示する野党、ということだ。「提案の一部でも政府が取り入れたら、野党も賛成に回れ」という無言の圧力がそこにある。