休日の夜中に校舎前の坂を駆け上る学生たち

ただそれだけに週末の外出は、防大生全員が心から解放される日となる。ただし、1学年は制服を着たままで外出しなければならない。上級生も基本的に正門を出入りするときは制服でなければならず、そのために実家の遠い学生は近所に何人かで下宿を借りて、そこで着替えている(旧軍の士官学校にも県人会単位で所有していた「日曜下宿」というのがあったと言われる)。

國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)

土曜は23:20まで、日曜祝日は22:20まで外出が可能で、時間に遅れると処罰が待っている。門限近くになると、学生たちが小原台のきつい坂道を駆け上っているのを目にする。

外泊は特別外出(特外)と呼び、2学年は原則として年間11回(連休も1回)、3学年は16回、4学年は21回まで認められるが、いずれも事前にきちんと行先と帰校時間などを報告しなければならない。100キロを超えて外出するときは、特別な承認が必要である。

なお、1学年に関しては、夏・冬・春の定期休暇以外の特外は基本的に認められていない。1学年の学生に「何かの功労で『褒章』をもらえるとしたら何が欲しいか」と聞けば、多くが「特外」と言うに違いない。

「生まれ変わっても防大に入りたい」

新型コロナウイルス感染症が広まった当初、特に緊急事態宣言のなかで若者の自由な行動に対する批判が高まっていたこともあり、防大では約2カ月間、完全に外出禁止の措置を取った。特に1学年は入校したばかりだったが、しかし上級学年の丁寧な指導もあって、一人の感染者を出すこともなく乗り切ることができた。

私も校内放送などを使い、「放送大学」と銘打って6回講義を行った。この間、週刊誌系列などから「感染者多数」など、あることないことフェイクニュースを書かれたこともあり、われわれは余計な仕事に対応させられるはめに陥った。

一般大学の学生や卒業生にこのような話をしても、想像をはるかに超えた世界に聞こえるだろう。しかし、若く多感な時期に、このようにとてつもなく厳しく苦しい環境に置かれるが、それでもその行きついた先に、心の底から信頼できる一生の友と仲間を作ることのできる熱い4年間を過ごした卒業生の多くが、「生まれ変わっても防大に入る」と言う。その原点にあるのが学生舎生活なのだ。