薬物は「いけないもの」があたりまえだった私

そこで、次の週から早速わたしたちは、子どもの「drug abuse」つまり薬物乱用の防止に向けた取り組みを始めることになった。

まずは、簡単なアニメーションの動画で、「中毒になる」というコンセプトを教えるところから始まった。やはり、子どもたちは学校でも薬物やそのほかのサブスタンスについて教えられていないようで、はじめはあまりぴんときていない様子だった。

「いま見たの、説明できるひと?」とたずねても、首をかしげ口をつぐんでしまった。

考えてみれば、自分がはじめて小学校でこういう内容を習ったときは、ドラッグなんて遠い存在で、もとから「いけないもの」という感覚があった。テレビで薬物を持っていて逮捕されるひとたちのニュースを見て、殺人や強盗とかと同じように「悪いひとたちのすること」という認識だった。それらに直接触れる機会なんてない、守られた場所にいた。

しかし、この子たちにとっては、身近なことなのだ。幼いときから、まわりのおとなたちが使っているのを見たり、お菓子を買いにいく近所の店に置いてあったりしたら、「危ないものだ」という感覚はうまれるだろうか。

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彼女たちにとって薬物中毒になるかは紙一重

学校からドロップアウトしてしまった子たちがドラッグに手を出すというのも、だからといってその子たちに「悪い子ども」というレッテルを貼ることができるだろうか。ストリートチルドレンについてもそうだと教わったように、飢え、寒さ、寂しさ、絶望……それらから逃げるために手を出してしまったのは、本当に子どもたち自身のせいなんだろうか。子どもたちが薬物乱用をすることは犯罪……?

彼ら彼女らは、逃げ道と思って手を伸ばしたほかのもの――親、学校、地域、社会――すべてに、手を振り払われた子どもたちだ。ドラッグのほかには誰も、手を握り返してくれなかった子どもたちだ。

わたしが仲良くなった子たちだって、いまはちがっても、そんな状況にふとしたときに落っこちてしまうリスクがあるんだ、紙一重なんだと、本人たちも言っていた。

だから、それが逃げ道にはならないことを、いまのうちに知っておかなければいけない。

そこからは、いままで学校で薬物乱用の危険性について習ったそれぞれの経験をクラブのメンバーで持ち寄って、子どもたちにレクチャーした。自分たちとは環境がちがうことを念頭においたうえで、なるべく子どもたちが主体になるよう工夫を凝らしながら。

やがて、はじめはただわたしたちの話を聞いているだけだった子たちが、だんだんと声を発するようになっていった。