蔵相だった武村正義も印象を語る。
「社会党が政権のど真ん中に座り、よほど腹を決め、考え方も変えなければという覚悟があった。だから、消費税問題もスムーズに転換した。抵抗はなかった」
増税実施時期は2年半後の97年4月だった。村山は96年1月に退陣し、首相が自民党の橋本龍太郎に交代した。
橋本は10月に総選挙を行う。選挙を前にして自民党内から増税凍結論が噴き出した。幹事長だった加藤が回想する。
「選挙の直前、公認候補に公認証を渡すとき、橋本さんが『選挙の見通しは』と聞くので、『調査結果では、増税を言い続けたら投票態度を変えるという人が10%いる。数十議席減って過半数を割る』と答えた。橋本さんの顔色が変わった。『ここから先は党の判断だから、すべて幹事長に任せる』と言って逃げた」
党内は凍結派と推進派に分かれていたが、加藤は凍結せずに総選挙に臨んだ。
「私は大平内閣を思い出した。あのときに撤回せずに導入を言い続けていたら、ぎりぎり過半数が取れたのではないかという思いが残った。微動だにしない決意でやるかどうかがポイントです」
総選挙で自民党は過半数回復は果たせなかったが、前回の16人増となる。消費税増税のただ一つの成功例となった。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時