社会が受け入れてくれないと、本当の意味では喜べない

★「う」=うれしいことがしたい

うれしいこと、心も身体もうれしい、自分が喜ぶことがしたい。

ただ、いろいろ試してみてわかったのは、これは、一人ではできません。というか、いくらうれしいことでも一人ではつまらない。やっぱり周りの人が喜んでくれないと、本当にうれしいことにはならないということを発見したのです。

「うれしいことをしたい」などと言うと、すごくエゴイスティックに聞こえるかもしれませんけれど、でも、実はそうではなくて、これは自分も周りの人もうれしくて、楽しくないと、うれしいことにはならないのです。

そんな心も身体も喜ぶようなうれしいことをするためには、まず自分の身体や時間の使い方についてもいろいろ考えなければなりませんし、社会がそれを受け容れてくれないと、本当にうれしいことにはつながらないのです。

ですからまず自分にとって「うれしいこと」とは何か、を真剣に考えることも大切です。

「うれしいこと」を通してはじめて意識する大切なこと

小さな例ですが、最近のうつうつとしたコロナ禍で、私は毎日ツイッターで「今日のこの一皿」というテーマで、100円から300円くらいのコンビニ・スイーツを一つ、アップしています。冬はケーキやシュークリームなど、夏は氷菓子が中心です。

このスイーツを「買うお金」がある。食べられる「健康な自分」がいる。食べられるだけの「ゆっくりできる環境」がある。そういうことが実はとても大事なのだと実感したからです。

この作業を毎日するようになってから、もし今日寝るところもなかったらコンビニ・スイーツどころの話ではないし、一刻一刻変化する環境の中で、それでも私たちは今日を生かされているんだということを明確に意識するようにもなりました。

そうすると、何時に起きて、何をして、どういうふうに寝るかといった今日の時間の使い方から始まって、実に様々なことを「自分が」人生の中で選択しているのだ、ということがよくわかります。政治もそうです。

結局、人生というのは小さなことから大きなことまで、すべて自分で選択していくということ。選択肢の中から何を選ぶかの連続なんだ、と得心できるわけです。