女が「人生最大の権力者」になるとき

この権力の濫用は、上司が部下に、あるいは教師が学生に、男性が女性にばかり行うとはかぎりません。女も親になったときに、人生で最大の権力者になります。

親は、無力な子どもに対して、生殺与奪の権を握ります。泣きやまない子どもが悪魔のように思えて、いっそひと思いにこの子をベランダから……って思わなかったお母さんは、いないんじゃないでしょうか。実際に床に赤ん坊を投げ落として殺してしまったお母さんがいましたね。女のひとは子どもが育ち上がったら、「よくぞまあ、この子を殺さずにすんだものよ」と、しみじみ感慨を持つんじゃないかと思うぐらいです。

写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです

ケアとは、権力の濫用を抑制し続けてきた長期にわたるプロセスだと考えることはできないでしょうか。権力の濫用は、やっているひとにとっては快感でしょう。センス・オブ・パワー(※2)を味わうのは、気持ちがいいものです。その誘惑に抗し続ける、長きにわたる経験がケアです。

もしケアというものが非暴力を学ぶ実践だとしたら、非暴力は学ぶことができるといえます。反対に暴力もまた、学習されます。10代の男の子たちが陰惨な暴力事件を起こすのも、生まれてからのプロセスで暴力を学んできたからでしょう。DNAやホルモンで暴力を振るうわけではありません。暴力も非暴力も学べるとしたら、男にも非暴力を学んでほしい。そのために、男をケアという経験に招き入れるのが、女の役目じゃないかと思います。

※2 センス・オブ・パワー:権力意識。

東大入学式の祝辞でもっとも伝えたかったこと

東京大学入学式での上野の祝辞がバズりました。その祝辞のなかで一番よく引用されたのがこの文章です。

あなたの恵まれた環境と能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください

これを聞いたひとは、「ははーん、これってノブレス・オブリージュ(※3)のことだね」と、短絡的に理解する傾向があります。

ちょっと待って。わたしはこの文章の直後にもう1行つけ加えました。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください

ここまでまとめて引用してくれるひとがめったにいません。

なぜこういったかといえば、強者はずっと強者のままでいられないからです。強者もかつては弱者だったし、いずれは再び弱者になります。

だとしたら、わたしたちがほしい社会はどんな社会でしょうか。

弱者になったときに「助けて」といえる社会、「助けて」といったときに、助けてもらえる社会です。

※3 ノブレス・オブリージュ:フランス語でノブレスは「貴族」、オブリージュは「義務を負わせる」。「社会的地位を有するものは、それに応じて果たさなければならない社会的責任と義務がある」という、欧米社会における道徳観。