遠距離介護の限界
2014年1月、市原さんが実家でトイレに行こうとすると、母親が市原さんの腕をつかみ、「近所の公園にある公衆トイレに行け」と言う。市原さんが実家のトイレに入ると、ドンドンとドアを叩き、ガチャガチャとドアノブを回す。
その翌朝も、市原さんがトイレを使うと、母親が仁王立ちで言う。「トイレ使ったら詰まるねん。公園に行き」。
「詰まってないよ。大丈夫やから、お母さんも家でトイレしぃや」と市原さんが言っても、母親は暗い顔をして公園へ向かう。市原さんは後を追った。
寒い朝、母親はパジャマ一枚に裸足でつっかけ姿。公園のきれいとは言えないトイレから出てくると、なぜか手にはトイレットペーパーが。母親は帰宅すると、それをタンスに入れた。
不審に思った市原さんは、母親が見ていない隙にタンスを開ける。中にはおびただしい数のトイレットペーパーやポケットティッシュなどが詰め込まれており、中には茶色い汚れがカピカピに乾いたものまである。
市原さんはぞっとした。見ると他のタンスや押入れにもペーパー類が詰め込まれていた。市原さんはひどく落ちこみ、「こんな家にはいられない。ずっと一緒にいたら、こっちまでおかしくなる」と気持ちが悪くなった。
それからだった。母親は1人で天井に向かって笑ったり、壁に向かって怒ったり。そしていつしか、叔父に「帰れ!」「財布泥棒!」などと敵対するようになっていく。
それでも叔父は、「認知症は否定してはいけないんや」と言い、「そうかそうか」と笑っていた。また別の日、隣家に住む旧友から、市原さんの母親が、「朝晩関係なく家のインターホンを鳴らしに来るため困っている」と苦情が入る。「認知症のお母さんを放っておくなんてかわいそう。迷惑やし、何とかしてよ!」。苦情は叔父にも伝えたが、逆ギレされて話にならなかったようだ。
「叔父に逆らえず、認知症の母を施設に入れないことで、私は弟と弟の家族、叔母たち、そしてご近所の人たちなど、たくさんの縁を失いました。自分で決めたんだから仕方がありません。私が施設に入れたいなどと言ったら、きっと叔父は激怒する。叔父に今、母の介護をやめられたら困る。今さら、私が母の面倒なんて見られない。叔父から施設に入れようと言い出すまでは何とか今のまま……。私はひたすら自己保身に走っていました」
市原さんは後日、菓子折りを持って近所を回った。
やがて2016年12月、77歳になった母親の徘徊が始まる。最初は歩いて15分程度の商店街。次は3〜4時間かかるところまで行き、警察に保護される。3回目の徘徊の時は、市原さんが実家に来ている時だった。
母親は「トイレに行ってくる」と言って公園へ行き、10分経っても戻らない。おかしいと思った市原さんは、あたりを探し回った。叔父に電話をすると、叔父は警察に連絡。昼過ぎに出ていった母親は、夜8時過ぎに見つかった。警察から連絡があり、市原さんが迎えに行くと、真冬に母親はコートも着ず、足元は裸足につっかけ。それを見た市原さんは、帰ったら叔父に、「私が母を引き取る」と言おうと思った。
帰宅すると叔父は、自分の家で母親を介護すると提案。しかし市原さんは、「私、仕事を辞めて、お母さんの面倒を見るよ。関東に連れて帰るわ」と言った。
すると叔父は、何かを考えつつも、「お前が決めたんなら……分かった」とうなずいた。関東に戻るとすぐに上司に退職を申し出、市原さんは残務整理に入る。
しかし数日後、叔父から、「今日、介護付き有料老人ホームを申し込んできた。もうお母さん、お前の家に行っても、そんなに長くはおられへん。仕方ないよ」と電話があった。
2015年9月。78歳になっていた母親は有料老人ホームに入居。2017年4月に要介護5になり、特養に移った。