人は常に孤独ではない

基本的に人間はつながりを感じていたい生き物ですから、根っこのところには寂しがりやの自分がいます。

世間的に高い評価を受けていても、たくさんの人に慕われていても、帰宅して家のドアを開けた瞬間、なんともいえない寂しさに飲み込まれてしまうときがあります。

一人きりですごす時間に、言い知れぬ孤独感に襲われることもあります。人が大勢行き交う東京やニューヨークの大通りを歩いていても、誰とのつながりも感じられなければ孤独です。

しかし、人は生まれてから死ぬまで、孤独なときは一瞬たりともありません。

土の上に人と人が座り、対話している姿を表している坐禅という字。誰が対話しているの? というと、自分と誰かではなく、自分ともう一人の自分が対話をしているのです。自分が自分がという「自我」と、本来の自分である「自己」との対話です。ですから、坐禅をするかぎり、もう一人の自分と常にある。絶対に一人ではないのです。

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自分の中にいる「最強の友」

昭和時代の禅僧である山田無文老師は『臨済録』(臨済宗の開祖・臨済義玄の言行をまとめた語録)の中の「一無位真人」という禅語について、自分の中に、くらいも性別も年齢も能力も超越した、世間の価値判断で価値を決めることのできない仏性、本来の面目がある、と解説しています。立派な主体性、絶対的な尊厳、平等にある純粋な人間性というものが生まれながらにして誰の中にも備わっているのだとおっしゃっています。これこそが、本来の自分「自己」です。

自己は、いちばん近くにいて、いちばん信頼が置けて、いちばん自分を理解してサポートしてくれるベストフレンドです。

自分には友だちが少ないから寂しいといっている人には、自分の中に最強の友がいることを知ってほしいと思います。

坐禅は自己というベストフレンドと対話する絶好の機会です。

コップを静かに置いて深呼吸を繰り返し、心が落ち着いてきたら、もう一人の自分に問いかけます。「なあ、正樹、子どもたちの言うことをもう少しちゃんと聞いてあげてもいいんじゃないか」とか、そんなことでいいのです。

問いかけには反応が返ってきますから、「そうだよな。あれは悲しがるのも無理はないな」、「じゃあ、どうしたらよかったと思う?」、「口に出す前に、一度、深呼吸をして余白を持てばよかった」、こんなふうに問いかけに答えるうちに、心の整理がついていきます。

ベストフレンドはよき相談相手。ぜひ話す機会をたくさん持ちましょう。