未知の恐怖が差別を生む
「新型コロナウイルス感染症対応に従事する医療関係者への不当な批判に対する声明」と題した抗議文は、2月22日付で発表された。その一節は、このように訴えている。
「あのときの状況と似ている」
福島県立医科大学のベテラン救急医でDMATのインストラクターでもある島田二郎は、東日本大震災の原発事故直後、災害現場で活動し、身近に起きたことを連想した。福島第一原子力発電所がある沿岸部に近い病院の患者を内陸部の病院に移そうにも、受け入れを断られることがあったのだ。
「放射線も新型コロナウイルスも、みんな知識がないから、差別が起きてしまう」
新型コロナの場合も、まるでかかってしまった患者に非があるとでも言うように、誹謗中傷が巻き起こる事態が、各地で頻発している。特に地方では、感染したことが周囲に知れわたり、その地域に住んでいられなくなった家族もいた。
「なんとなくわからない不安は恐怖感になり、差別につながる。差別するなって言っても、無理なのかもしれませんね」
やがて地元の福島でも、新型コロナの感染者に対して、原発事故を思い出させるような差別が起きることになる。自身も福島県民として島田は、思わずにはいられない。
「差別された人たちも、結局は同じことをするんですね。差別された人が、今度はほかの人に同じことをやるわけですよ。自分が差別されたときのことを思い出そうにも、恐怖感にかられてしまったら、もう思い出せないんですね。やっぱり人間って弱いんだと、正直言って思いました。立場が変わったときに、誰かを差別しないために、自分が差別された経験を生かすことはできないんだなと。人間は、そんなに強くない」
荷物は何もかも捨てた
乗客の石原美佐子が乗船後に入院した病院から退院したのは、3月13日のことだった。ともに入院した夫の退院は、1日遅れた14日。
夫を一人で残していくのは心配だったが、必要もないのに病室を1日占拠するのも忍びない。自分だけ先に帰宅することにした。
病院前でタクシーに乗り、最寄り駅から新幹線に乗り換える。考えてみたら久しぶりの自由で、言い知れぬ解放感に満たされた。クルージングからそのまま室内隔離期間に入り、自由に外を歩いたのは、寄港した那覇でおみやげを買いに出た2月1日以来ということになる。
「ふつうに外を歩けるって、こんなにうれしいの?」
解放感に身を委ねたのもつかの間、新幹線の車中でこわくなった。同じ車両に、外国人と日本人の団体客が乗り合わせた。こんな人混みで、またコロナがうつってしまうことはないだろうか。飲んだり食べたりは控え、乗っている間じゅうマスクを外さなかった。新幹線を降り、自宅の最寄り駅からタクシーに乗ると、ようやくほっとした。
近くに住む娘が車でやってきて、当座の食材などを届けてくれたが、何かあってはいけないからと、接触は持たないことにした。買い物袋をドアにかけてもらい、車の窓ごしにあいさつしただけですませた。
翌日、退院した夫は、品川で新幹線を降りて近くのホテルに寄って帰りたいと連絡してきた。
「とんでもない。お願いだからまっすぐに帰ってきてください」
説得するのが一苦労だった。
退院からしばらくして、下船するとき客室に置いたままにしてきた旅行用の大きなスーツケースが戻って来た。中身を確かめると、フォーマルのドレスからふだん着から、家族のために買い求めたおみやげまでも、何もかもびしょびしょになって、めちゃくちゃに詰め込まれていた。消毒されたのだろうか。
「お母さん、荷物は全部捨てて。あとでまた買ってあげるから」
娘にもそう言われ、ほとんどを捨てることにした。ウイルスは、もうついていないだろうが、何があるかわからない。貴金属のアクセサリーなど一部だけを残して、スーツケースもろとも捨てることにした。船内でカメラマンに頼んで撮影した正装の記念写真も、思い切って捨ててしまった。