解雇通知

次なる災難が、追い打ちをかけるようにやってきた。

「あなたのほうから、ご迷惑をおかけしましたと言って辞めていただきたい」

美佐子が勤め先からそう宣告されたのは、退院してまもなくのことだった。

高梨ゆき子『命のクルーズ』(講談社)

ある財団法人の事務局で、事務員をしていたのだ。アルバイトに近いものであったが、それでも10年続けた愛着のある仕事だった。休暇をとってクルーズ船の旅に出ることは、もちろん申し出て許可を得たうえでのことだった。思いがけぬコロナ騒ぎで休みの期間はかなり延びていたが、そろそろ復帰できそうだと連絡をとりはじめたとき、上司から電話がかかってきた。

「あなたが、あの船に乗っていたことをみなさんが知ったら、大変なことになるでしょう? だから、辞めていただきたいんです。別にあなたに責任のあることじゃないのはわかっているけれど、あなたの代わりに、もう次の人を頼んであるから、来ていただかなくて結構です」

この間に入院していたことまでは、まだ話していなかった。だから、夫婦とも陽性だったことを、相手は知らないはずである。コロナの集団感染が起きたダイヤモンド・プリンセスに乗っていたという、ただそれだけの情報で、解雇を決められてしまった。もう別の人を雇い入れているとまで言われては、それ以上、どうすることもできなかった。

元気に見えても、実はウイルスを持っているかもしれないでしょう? うちの関係者には年配の人が多くて、うつったら取り返しのつかないことになるから──。絵に描いたような偏見に、返す言葉も見つからなかった。

「まるで私が菌みたい。近くに来られたら、みんなが困る存在だっていうの? 私、菌なの?」

被曝と感染

このころから、美佐子は体調がすぐれなくなった。解雇のことを思い出すたび、心臓が高鳴る。

弁護士に相談しようかとも思った。けれど、補償してほしいとか、お金の問題ではないのだ。収入がなくなると困るとか、そういうことでもない。こんなことが、社会にあっていいものなのか。自分の身に起きたということは、ほかのところでも起きているはずではないだろうか。

どうやって心の折り合いをつけたらいいのか、答えはなかなか見つからなかった。ふと思い立って、DMATの小早川義貴に電話した。下船時に、「何かあったらいつでも電話して」と言われ、これまでも折に触れ電話をしていた。

「福島と同じです。原発事故のあと、放射線のことで差別された福島の人たちと、まったく一緒ですね」

小早川は、福島復興支援室に常駐して、東日本大震災で被災した人びとの長期的な支援を担当しており、福島でのできごとを美佐子に話してくれた。

差別がこんなに人の心を傷つけるなんて──。美佐子はわが身に起きて、はじめてそのつらさを実感した。ダイヤモンド・プリンセスに乗っていたことは、近所の人にも決して言わないと心に決めた。

「ずいぶん長いことお留守にされていたけど、船に乗ってらっしゃったんですか?」

ずばり聞いてくる人もいた。そんなときは、言葉をにごして切り抜ける。うそをついたこともあった。

「しばらく娘の家に遊びに行って、そのあと旅行していたんですよ」

夫は細かいことを気にしないタイプで、入院していたことさえ気楽に外でしゃべりそうになる。そういうときも何とか制止して、その場をごまかし通した。

美佐子たち夫婦が感染したことは、周囲ではずっと、家族以外知らないままにした。石原夫妻のような乗客は、実際に多いのだ。