※本稿は、高梨ゆき子『命のクルーズ』(講談社)の一部を再編集したものです。
2月19日水曜日、上陸許可証が届いた
午前中、PCR検査で陰性が確認された乗客の第一陣が下船を始めた。2020年2月5日から14日間にわたった検疫期間を終え、計443人が久しぶりに陸地を踏んだ。続く20日には274人、21日は253人が解放されることになる。
9階の部屋に滞在していたある日本人夫婦の部屋には、前日、ドアの下に紙が差し入れられていた。「下船に関する情報」というタイトルの文書である。
それには下船の手順が書かれてあった。パッキングした荷物に所定の番号が振られた色つきのタグを付け、下船当日朝7時までに部屋の外に出しておく。該当するタグの色や番号がアナウンスされたら客室を出て、エレベーターで4階に降りる。出入り口は船の前方を使う。出発時間は午前10時45分だった。
横浜検疫所長のサイン入りで、「検疫法第5条第1号に基づき本邦に上陸を許可された者であることを証明します」などと書かれた上陸許可証も届けられた。
乗客の下船は21日まで3日間にわたって行われる。第1陣の乗客は、検温などのチェックを受けたあと船を下りた。税関や荷物の発送手続きを終えると用意されたバスに乗り込み、横浜などの駅で解散となった。
自宅に戻ったあとも、電話による健康観察が続くことになる。一応「陰性」の結果が出たとしても、偽陰性の場合もある。実際に、帰宅してから陽性となった人も7人確認されることになった。
言葉の暴力
そのころ、済生会横浜市東部病院の山崎元靖は、近しい医療関係者のSNSに、ダイヤモンド・プリンセスについて批判的な書き込みが増えていくのを実感していた。
今回対応に当たることになった災害派遣医療チーム「DMAT」について、感染症には素人のDMATがやっているから、感染制御もろくにできていないんじゃないか──という厳しい声が多数上がっていた。
書いた当人は、山崎が、まさにその船内で支援に参加していたとは知らなかったのかもしれないが、それによって山崎は「友情まで引き裂かれたような」心境に陥った。
「最悪のダメージを受けた。やろうと思ってできることと、できないことがあるでしょう。それを度外視した批判がSNSで広まって、自分の親しい友人、知人にまで反応が広がっていった」
船が大黒埠頭に着岸した当初から支援活動に参加した山崎も、内心ではずっと葛藤を抱えていた。えたいの知れない新型ウイルスに、自分自身も感染してしまうのではないか。家族にうつしてしまうのではないか。感染の不安は常につきまとっていた。
それ以上に、自分が出動させたほかの隊員に何かあったらどうなるのか。最悪の場合、死んでしまったりしたら、自分の責任ではないのか──。結局、活動には参加していたわけだが、「行かせてよかったのか」というプレッシャーは常に感じつづけることになった。