職を捨てる覚悟で救助に参加

「告発動画」が公開されたのと同じ18日には、DMATとして船内で活動した看護師一人の感染も判明していた。以降、船に職員を派遣する病院はなくなった。

高梨ゆき子『命のクルーズ』(講談社)

検疫官の感染などで、かねて船内活動を不安視していた災害派遣精神医療チーム「DPAT」も、この日を契機に撤退を決めた。

DMATは活動の見直しを余儀なくされ、薬剤班など一部が船外に移された。

DMAT事務局は、やむなくすでに支援に参加したことのある同じメンバーに頼み込んで、二度、三度と来てもらったほか、事務局職員が出ずっぱりでカバーし続けるしかなくなった。

たとえば、滋賀県内の病院から参加していた松原峰生は、2月22日までのつもりでいたのを1週間延長した。延長は所属する病院から決して快く認められたわけではなく、「辞める覚悟」の決断であったという。

2月20日木曜日、隔離病棟の朝

乗客だった石原美佐子(仮名)は、ダイヤモンド・プリンセス号を下船し、夫と病院に入院することになった。2人とも陽性だったのだ。

隔離病棟の個室で主に患者の相手をするのはテレビだった。船内にいる間、ほとんど見られなかった日本の番組を自由に見られるようになり、クルーズ船のことや新型コロナのことが国内でしきりに取り上げられているのをようやく実感することができた。

テレビをつけ流していると、アナウンサーがこんなニュースを伝えた。

新型コロナウイルスの集団感染が確認されたクルーズ船の乗客で、日本人の80代の男女2人が20日、死亡しました。クルーズ船の乗客乗員で新型コロナウイルスの感染者が死亡したのははじめてです。

パクパク、パクパク──。心臓が高鳴った。それでも、気づけば目が離せなくなる。血圧が急上昇する。

この日は、船内に派遣された厚労省と内閣官房の職員計2人の感染も新たに確認されたことが報じられた。

「テレビは見ないほうがいいですよ」

看護師に勧められ、テレビからの情報はシャットアウトすることにした。

静かになると船での隔離生活が思い出され、これからのことも気になって、夜眠れなくなった。ひとりで考えごとをしていると、うつ病になってしまいそうだった。

看護師に頼み、売店でおもしろそうな本をみつくろって買ってきてもらう。それを片端から読んだ。娘にも適当な文庫本を送ってもらった。病室の窓際にずらりと並ぶほどの本。ほとんどが、読みはじめれば夢中になれるようなミステリーだった。不思議と、あとになって何を読んでいたのかまったく思い出せない。

下船後の乗客が送った「孤独な入院生活」

1カ月近くにわたる孤独な入院生活を支えてくれたのは、隣室の夫の存在と、看護師との交流だった。

朝になると、夫がいる隣の病室からカーテンを引く音が聞こえる。姿は見えないけれど、それが目覚めの合図だ。すぐにスマホで電話をかけて、「おはよう」とあいさつするのが日課になっていた。

看護師たちは手厚く寄り添ってくれた。退院しても、この病院にはあらためてお礼を言いに来たいと思うほどだ。感染が各地に広がる前で、医療従事者にも余裕があった。

美佐子には特に症状がなく、薬を飲むこともなかったから、体温、酸素飽和度といった体調の管理や検査のほかは、食事を運んだり部屋の掃除をしたり、日常の世話が主になる。看護師はそのたびに個人防護具を着けてやってきて、必ず何か話しかけてくれた。

「大丈夫? 寝られましたか?」
「退屈しちゃって大変でしょう?」
「少し運動したほうがいいですよ。その場で足踏みするだけでも、結構いいから」
「この辺りには温泉施設があって、みんな車で遊びに来るんですよ」
「クルーズ船ってどんな感じ? 乗ったことないから教えて」
「私も去年のいまごろ、ほかの感染症にかかってここに入院していたんです。大丈夫。元気になりますよ」
「今度、新しい担当者が来るけど、いい人だから安心してくださいね」

自宅から手作りの生ジュースを持って来て、差し入れてくれた看護師もいた。

「これ飲んだら元気になるから」

ブルーベリーやヨーグルトが入っていて、口にするとほんのり甘ずっぱかった。隔離生活のなかで、とても貴重なほかの人との接点。ふだんなら何でもないやりとりが救いになった。