母性信仰によって抑圧されてはいけない

——桐野さんがあるインタビューで「子どもに何かあったとき、すべて母親の責任になるのが不思議だ。鬼母という言葉はあるのに、鬼父はない」と語っていたのが印象に残りました。

出産や育児の面においても、女性の負担は大きくなりがちです。一方で、女性側も「ちゃんとした妻、母であらねば」と思い込んでしまう傾向にあるように感じます。

【桐野】日本は母性信仰が強い国。その背景にあるのは、「母親、父親とはこうあるべき」という家族信仰です。それゆえに子育てのすべてが女性の責任にされてしまうところは大きいと思います。でも「こうあるべき」と自分でも思い込んでしまっているなら、その考えが誰かによって押しつけられているものだということに気づいていないのかもしれません。恋愛して家庭を持って子どもを産みたいと考えることは自然な欲求です。でも、産んだ後に誰かに家にいろと命じられたりパート労働で搾取されたりするのは良くない。

「私は女性だから損をしている」と発言する人も増えました。「なぜこれだけ働いても給料が安いのだろう」「女性はあらかじめ決められている役割があるけれどなぜだろう」と、虐げられている人はとっくに気づいているんですよね。それを大きな視点、社会構造の問題として捉えられるといいのではないでしょうか。自分のせいではなく、女性が不利な立場に置かれていると考えていく訓練、習慣は必要だと思います。

また、女性を虐げるのは男性だけではありません。恵まれた立場にいる女性の中にも、「自分がたまたま恵まれていただけ」ということに気づかない人はいます。言い方は良くないかもしれませんが、「名誉男性」みたいなものでしょう。困っている人に気づいて目を向けられるのか。他者について考える視点を持ってほしいです。日本において、自己責任を問う風潮が年々強くなっていることも危惧しています。

——本作の中にも、たびたび自己責任論が登場しています。代理母になるというリキの選択を「自分で決めたこと」「お金がなくて家賃を払えなかったかもしれないが、それも自己責任」と切り捨てる発言や、引きこもっていて不健康そうに見える登場人物に対して、「本人の努力が足りない」という趣旨の発言をするシーンが出てきます。

撮影=プレジデントオンライン編集部

【桐野】ここまで自己責任論が叫ばれるようになったのは、新自由主義のせいだと思っています。経済的な構造の問題ですね。全世界がお金を得ようと国別に戦っていて、貧しい国は一生貧しいままで終わる。戦わないと勝てない世の中でコストパフォーマンスを上げるためには、労働力が安いほうがいいに決まっています。

こうした構造が続く中で、いつの間にか「うまくいかないのは社会のせいではなく、自分の努力が足りないせいだ」と思わされてしまった人たちがたくさんいます。これはお金を儲けようとする会社や国にとって、とても便利な都合のいい思想だと思います。

私自身は自己責任とは折り合わない人間。だから、「悪いのは本人ではなく、社会」と思って描いています。