同業者と視聴者の反応は真っ二つに分かれた

『鉄腕アトム』第1話の視聴率は27.4%で、きわめて好調なスタートだった。放送開始から約1年半後の第84話「イルカ文明の巻」は40.7%を記録した。

『アトム』を見た東映動画の大塚康生は、「『あれじゃ誰も見ない』と思うほどのぎこちない動かし方で、アニメーションは動かすものだ(中略)と信じていた私たちにとっては到底受け入れ難い」と批判した。

しかし、視聴率に反映されたように、観客は受け入れた。日本では『アトム』放送前からアメリカ製アニメが多数放送され、リミテッドアニメによる「動かないアニメ」も多かった。似たような技法のCMアニメも放送されていた。つまり、日本のアニメが『アトム』を境にして質が変わったというのは俗説である。

そして、手塚が制作費を公言したため、手間もコストもかかるテレビアニメの国産化は困難と考えていた制作業界に波紋が広がり、次々と他社がテレビアニメに参入した。

まず、テレビCM用アニメ制作のTCJが、63年9月から『仙人部落』、10月から『鉄人28号』、さらに11月から『エイトマン』、実に3つのテレビアニメの放送を開始した。

写真=iStock.com/wildpixel
※写真はイメージです

『アトム』の1年後、アニメ放送は9タイトルに

『鉄人28号』は横山光輝の漫画が原作で、巨大ロボットものの先駆け的作品だが、注目すべきは『仙人部落』である。小島こおの大人向けの漫画が原作で、放送は23時40分からの15分間だった。深夜放送帯のアニメは2000年代に入って急増したが、放送枠に関する限り、その第一作は『アトム』と同年だったのである。

次に、東映動画の『狼少年ケン』は63年11月から放送開始、翌64年の1月からはピー・プロダクション(ピープロ)制作による『0戦はやと』の放送が始まった。ピープロは、漫画家のうしおそうじが1960年に設立した映像制作会社で、『アトム』に刺激されてテレビアニメに参入した。

64年8月から放送されたのが『ビッグX』で、原作は手塚治虫の漫画だが、制作はテレビアニメ参入を目的に新設され、後に『ルパン三世』を手がける東京ムービーだった。創業者はそれまで人形劇団を主宰していた藤岡豊(1927~96)で、アニメには無縁だった。

65年5月放送開始の『宇宙エース』は、タツノコプロのテレビアニメ第一作である。後に『タイムボカン』シリーズを手がけるタツノコは、漫画家の吉田竜夫(1932~77)が漫画執筆の工房として設立したが、やはり『アトム』成功の流れの中でテレビアニメに参入した。

『アトム』放送開始からちょうど1年後の64年1月、テレビアニメは週9タイトル、65年10月には12タイトルもの放送数になった。