打開策は動いていない絵の「見せ方」を工夫すること

そこでフルアニメを捨ててリミテッドアニメを採用すること、また30分(CMなどを除けば実質約25分)のアニメを制作するために何人が必要かではなく、現有のアニメーター陣が1週間で描ける枚数で、どうやって「動いているように見せるか」を考えた。

その結果、1話あたりの動画枚数は1500~1800枚と決まった。これは当時の常識からして10分の1以下の枚数である。そのかわり、動いていない絵のカメラワークを工夫する、単純な歩きや飛行など繰り返し使える動画をストックして何度も兼用する(これを「バンクシステム」と呼んだ)、1カットあたりの時間(秒数)を短くしてスピーディーな展開にするなど、さまざまな「見せ方」が考案された。

そして最後に制作費である。『アトム』1話の制作費として虫プロが受け取ったのは55万円だった。実際には250万円はかかっており、放送局はもっと出せたというが、手塚がそういう超廉価に決めたのである。普通なら値上げ交渉をするのが手塚の役割のはずだが、手塚は値上げどころか「値下げ」したことになる。

55万円で制作すればテレビアニメを独占できる

手塚の胸中には、当時の子ども向けテレビ番組の制作費を考えると55万円が妥当で、かつそれだけの廉価で制作すれば他社が追随できずテレビアニメを独占でき、虫プロスタッフをもってすれば、それは可能だとの目算があった。

『アトム』放送前年の秋、手塚は「ボクのところのこの方式ならふつうのテレビ・ドラマなみの制作費で作れます。5、60万円ですか? いや、その辺はご想像にまかせます」ととぼけてみせ(「東京新聞」1962年11月19日付)、第1話放送直後には「正直いって第1話は、試作費をふくめて130万円、第2話が90万円と、たいへんな赤字です。だが、だんだん安くできるようになりますよ。1クール(13週)おわるころには、契約の60万の線にいくでしょう」などと、わざわざ制作費を明かしている(「サンケイ新聞」1963年1月4日付)。

この手塚の姿勢と、あまりに安すぎる制作費は、この後手塚が批判される元凶になるのである。