数字が一人歩きした手塚治虫の「1話55万円」契約
『アトム』を語る際、超廉価だった制作費の問題は避けられない。手塚治虫の独断に近い形で、制作費を1話55万円で契約した前例が、現在までアニメ制作費を安く抑え、制作現場の劣悪な労働の元凶になったとさえ言われてきたからである。しかしこの制作費は、数字が一人歩きした側面もある。
まず、約4年間・全193話放送された『アトム』は、その期間ずっと1話55万円だったのではない。当時の虫プロスタッフの証言によると、話数を重ねる中で徐々に上積みし、最終的には1話300万円程度までになっている。また、1965年10月放送開始のテレビアニメ『ジャングル大帝』では、制作現場に投入される予算は1話250万円で管理された。
さらに、『アトム』の当初契約1話55万円は、あまりにも安すぎるとして、手塚には告げない形で虫プロの事務方が再協議し、代理店(萬年社)が1話あたり100万円を補填して、合計155万円で制作していたとの証言もある。
労働環境が改善されていない責任はだれにあるのか
手塚の口から「1話55万円」が世間に流布した結果、テレビアニメは安く作れるとの話が当時どこまで真実味をもって理解されたかは明らかではない。だが、事実として『アトム』以降テレビアニメに参入する制作会社が続々と現れた。
それでも、『アトム』以来半世紀以上を経た現在まで、安い制作費の原因を手塚に押しつけるのは、話を飛躍させすぎている。自社が制作する作品の価値を認識し、それを権利として獲得することは、後続のアニメ制作会社にも課せられていたはずである。そういう後続他社の努力の欠如、もしくは変えられなかった責任を問う声は、なぜか小さい。
東洋のディズニーとして劇場用長編アニメ制作を軌道に乗せた東映動画の仕事は、ディズニーの『白雪姫』公開からは約20年を隔てて、日本のアニメ界を近代に導いた。
一方『鉄腕アトム』は、何かに追随したというよりも、発想の転換で新しいアニメの形を示し、世界的視野から見た日本のアニメの独自性を追求するきっかけを作った。
そして、本格的にディズニーの方法を取り入れた東映動画は技術的モダニズムを日本のアニメ界にもたらし、商品としてのアニメを形成した虫プロは産業的モダニズムをもたらしたと言い換えることもできるだろう。