失敗してこそ、数学が分かる近道になる
先生方による実践を通し、学校教育では学べない驚きの教えについて、いくつか紹介させて頂きます。これは、一般の学校教育においても通じる教えだと確信しています。
・失敗を隠す必要はない
今まで彼らは、散々失敗して、自分が傷つくことをとても恐れてきました。失敗して当たり前。失敗してこそ、数学が分かる近道なのだと、繰り返し言われます。思わず、皆、板書している先生を驚きの目で見つめます。答えを導くプロセス、途中式を重視されました。
ミスがあってノートの途中式を消しゴムでゴシゴシやろうものなら、消してはいけません。どこで間違ったかを振り返る証拠がなくなるでしょうと注意されます。間違いに気づくという反省的思考を学ぶことになるのですからと。失敗を隠し続けてきた少年たちにとって、とても勇気づけられる言葉でした。
・自信を持って間違いなさい
つぎに、このフレイズです。初めから間違おうとして間違う人はいません。まずは、自分の考えを持って、堂々と問題を解いてごらんなさい、どうしても分からないときは、自信を持って聞いてください。
徐々に彼らは、手を挙げながら、先生の質問に対して、自分の考えを堂々と述べるようになります。他の少年も、その雰囲気に引き込まれるように、他の少年の考え方に賛同したり、反論したりするようになります。先生は、模範解答をすぐに教えません。一人一人の表情を見ながら当てつつ、繰り返し問題を解かせるのです。誰もとり残すことはしないという気迫が伝わってきます。
「小学生の問題だから分かるよね」は禁句
・算数ではなく数学を学んでいるのだ
この言葉は、両先生とも口を酸っぱくして強調されていました。授業を担当する教官が、「これは小学生の問題だから分かるよね」と言おうものなら、授業のあと、指導担当教官は必ずきつく叱られていました。彼らには、学力が追いついていなくとも、年齢にふさわしいプライドがあるのだから、それを傷つけてはいけない。
小学校で学ぶ算数は、数の計算の技術を学ぶだけではなく、「数と式」に関する基礎的な概念や原理・法則についての理解を深め、中学校で扱う抽象的概念と陸続きであることをいかに理解させるかにある。言い換えれば、四則計算などのドリル学習とは違い、文字式や方程式を扱いながら抽象的思考や論理的思考を学ぶエッセンスが小学校の算数にも含まれているということを伝えたいのです。
また、年齢と学力のギャップを意識させて劣等感を刺激するのではなく、本人がどのように学習して答えを導くのか、その過程が分からないだけなのだから、指導者は常にその問題意識を持って欲しいとも言われました。
そのためには、言葉がけに注意すること。例えば、「これは説明しなくても大丈夫だよね」「簡単な問題だから、サラッとやってみて」という発問は禁句です。指導者は、少年たちの視点に立って、なぜ分からないのかという気持ちと向き合うことが大切なのです。