また、当時の教官たちは、規律を維持するための生活指導に明け暮れる毎日でした。日課の中心である教科指導の配置につく若手教官たちは、専門外の教科であっても手作りのプリントを事前に用意しながら努力を重ねていました。しかし、落ち着かない一部の少年に振り回されているのが現状でした。

数学ができるようになりたい少年が使っていた参考書

ある早朝、何かと落ち着かない寮のことが気になって、さりげなく寮のホールに足を運んだときのことです。朝食を終え、授業開始前の待機時間だったと思います。相変わらず騒々しい雰囲気の中、当直の教官も疲れ切った表情でいました。ところが、ADHDと確定診断されて服薬が欠かせないSくんが、珍しく机に向かって黙々と自習をしているのです。思わず声をかけると「先生、この本すごく分かりやすいんだよ」とある数学の参考書を見せてくれたのです。

その本は、私が千葉の少年院で勤務していた10年前に、数学指導者の髙橋一雄先生から贈って頂いた『かずおの語りかける数学(中学1年中学2年)』でした。Sくんは、数学ができるようになりたい一心で熱中していたのです。このSくんとの会話によって、10年前に感じた目からうろこの記憶が呼び起こされました。

10年前の記憶というのはこうです。髙橋先生に贈って頂いた著書を最初に手にしたときのことです。数学には「日本語の理解度が大切であり」、「自分の頭で考え、自分の言葉で!」というフレイズが心に響きました。

数学が分かるになれば、学びの突破口になる

また、髙橋先生の「正と負の数」における数直線の解説は目からうろこでした。符号の性格を川の流れにたとえて、プラス(+)は真面目で、いつも自分の目の前の流れに乗ることであり、マイナス(-)はへそまがりでいつも目の前の流れと反対の方向へ行くとの説明がありました。そのとき、頭の中で「正と負の関係」が、はっきりとイメージできたのです。笑顔のSくんを見ながら、髙橋先生を少年院へお呼びしなければというささやきが、どこからともなく聞こえたのです。

少年たちの劣等感の裏には、勉強が分かるようになりたいという渇望があります。生活指導に明け暮れ、本来力を注ぎたいが足かせとなっている教科指導における三重苦。中でも劣等感を特に刺激していた数学が、もし分かるようになれば、学びの突破口になるかもしれない。それによって少年たちが落ち着きをとり戻し、生活指導を下支えするかもしれない。そうした予感がありました。

併せて、つぎに述べる私の体験から得た、数学は劣等感を反転させる力を持っているとの確信もあったのです。この予感と確信が数学に着目した動機でした。