旧民主党系議員の「第一・第二・第三世代」

何かにつけ「バラバラ」と揶揄やゆされてきた旧民主党系の議員たち。そこには「保守かリベラルか」といった政策的な対立とは別に「当選時期の違いによる対立」があった。政策の違い以上に、政治そのもの、つまり「求める政策をどう実現するか」についての考え方が、当選時期によってかなり違っていたように思えるのだ。

旧民主党系で最年長クラスのいわゆる「第一世代」は、菅直人氏や小沢一郎氏ら、55年体制時代から国政で活動していた世代だ。1990年代の政界再編、つまり非自民の細川連立政権の誕生前後の激しい政治の動きの先頭に立ち、新進党や旧民主党など、新たな小選挙区制度に対応して政権を担うべく誕生した新党の創業者やその側近だ。

これに続く「第二世代」は、細川政権誕生前夜から小選挙区制の導入の前後に国政入りした世代。立憲民主党の枝野幸男前代表、同党の野田佳彦元首相、国民民主党の前原誠司代表代行兼選対委員長らが該当する。3人はいずれも、細川氏が率いた日本新党の出身。新人議員として90年代の政界再編の空気を肌で感じながら、前述した新進党や民主党に結党メンバーとして参加した。

政治スタンスに差はあっても、この第一、第二世代までは「新しい政権を自らの手でつくる」という、ある種の「創業者マインド」を強く保持していた。小選挙区制導入の意義は「政権交代で政治を変える」こと。こうした意識が当然のように身についていた。

第一、第二世代にとって、政権とは「自民党に選挙で勝って奪い取るもの」であり、彼らは総じて「非自民」志向だった。

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政権を選挙で勝ち取る意識の低い「第三世代」

ところが、この下の「第三世代」となると、様相は少し変わってくる。

第三世代とは、1998年に新「民主党」が結党(旧民主党と、前年に解党した新進党の出身議員の多くが合流し結党)した以降に政界入りした世代だ。別々の出身政党から集まって新「民主党」の結党メンバーとなった先輩世代と異なり、初めから民主党の議員として初当選した、という意味で、メディアは彼らを「ネイティブ民主党」などと呼んだ。

第三世代のリーダー格が、民主党政権で閣僚を務めた細野豪志氏や松本剛明氏(ともに2000年初当選)だった。玉木氏は彼らにやや遅れて、民主党が政権を奪取した2009年に初当選した。

父親が自民党政権で閣僚を務めていた松本氏のように、この世代にはその経歴からも、従来なら自民党から立候補した可能性が高い政治家が多くいた。小選挙区制は同一選挙区から同じ政党の人間が1人しか出馬できないため、自民党から出馬できずに民主党を選んだ人もいたし、近い将来の政権交代を見越して民主党を選んだ人もいた。

そんなわけで第三世代には、政治スタンスも上の世代に比べ保守的な議員が多いのだが、それ以上に上の世代と大きく異なっていたのは、政権を「戦って勝ち取る」感覚の薄さだったように思う。

第一、第二世代が当たり前に持っていた「野党として自民党と戦って政権を勝ち取り、目指す政策を実現する」という価値観に、第三世代はあまり重きを置くふうがない。むしろ、政府案への「対案」を策定して与党側に採用されることを良しとしていた。野党でありながら、はなから「与党っぽく」振る舞おうとしていたのだ。