日本では「政権交代」が長続きしない。自民党は下野しても、すぐに政権を取り戻している。なぜそうなるのか。憲政史家の倉山満さんは「野党がとにかく弱すぎて自民党の脅威にもなっていない。安倍政権が8年続いたのも他に任せられる党がないからだ」という――。

※本稿は、倉山満『なぜ日本の野党はダメなのか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

自由民主党本部
写真=iStock.com/oasis2me
※写真はイメージです

民主党内閣がやりたいことは「政権交代」だけだった

政権を取るまでの民主党は、言われるほど悪くはありません。問題は政権を奪った後です。

総選挙で政権奪取した他の政権と比べてみましょう。

大正13(1924)年6月11日に発足した加藤高明憲政会内閣は「男子普通選挙」を唯一の合意とした、政友会・革新倶楽部との護憲三派連立内閣でした。「男子普通選挙」を通すことはできたのですが、連立与党の政友会が造反します。大義名分は憲政会が進める行財政改革への反対です。

連立内閣でやりたいことが「男子普通選挙」と「行財政改革」の二つあったため分裂したのです。ただ、政友会が連立から離脱しても憲政会は持ちこたえて、政友会との二大政党の一角に成長します。

平成5(1993)年8月9日に発足した細川護熙連立内閣は、小選挙区制を柱とする政治改革を旗印に非自民党・非共産党の8政党(日本新党・社会党・新生党・公明党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合)が連立を組んだ内閣でした。政治改革を通した瞬間に仲間割れが始まりました。小選挙区制の法案を通しただけで1回も選挙をやらずに仲間割れをしたのは、小沢一郎のやり方が稚拙だったためです。自滅していく細川連立内閣を横目に、自民党が与党に復活していきました。

そして、鳩山由紀夫民主党内閣がやりたいことは「政権交代」だけでした。いろいろと細かいこともありますが、基本的にこれだけです。そのため政権交代をした瞬間に、党内で仲間割れが始まります。民主党政権3年3カ月で無能の限りを尽くし、そして復活した自民党は空前の長期政権となります。

このように並べてみると、やりたい政策が二つ以上でもゼロでも駄目ということが分かります。

自民党が衆議院選挙を連敗したことは過去一度もない

そして、戦前の加藤高明憲政会内閣は別として、細川護熙連立内閣と鳩山由紀夫民主党内閣の共通点は「自民党を1回しか衆議院選挙で負かしていないのに仲間割れをした」ということです。仲間割れをしたら自民党につけ込まれて政権を取り返されています。これが戦後史においては決定的な理由になります。

つまり、自民党は衆議院選挙を2回連続で負ける前に政権を取り返しています。こんな政党は、世界の民主国で日本くらいです。

民主党政権時代に自民党は野党暮らしを3年3カ月経験しますが、もう1年野党暮らしが続いたら党本部を手放さなくてはいけないぐらいに借金がかさんでいました。

党本部から自民党を追い出すには、2回連続衆議院選挙で自民党に勝たなくてはいけません。そうなると参議院選挙も2回以上連続で勝つ必要が出てきます。

平成22(2010)年5月30日に民主党と連立を組んでいた社民党が離脱していきます。同年6月4日に鳩山由紀夫内閣は総辞職し、6月8日に菅直人内閣が発足します。

同年7月11日、第22回参議院議員通常選挙が行われるのですが、民主党は10議席を失い44議席となります。自民党は13議席を増やして51議席となり、自民党が参議院第一党の座を取り返しました。民主党は、今度は自分がねじれ国会に苦しむことになります。