こうした震災復興支援の、小さいが多彩な動きは全国各地で展開されている。思いが思いをつなぎ、そしてそれに共感する人が集まる。市場を経由しては集めることができないようなさまざまな資源が、共感の渦の中で集まる。

共感は市場を超える。この試みが後輩たちに引き継がれていけば、さらに大きい共感の渦となり、大きい渦ができれば、自然とそこに収益や雇用機会も生まれる。

一緒に趣味を楽しみたいという気持ちが共感を呼び、ビジネスや市場をつくりだす(ミシンカフェや編み物カフェ)。震災復興の手助けをしたいという気持ちが共感を呼び、周囲の支援・資源を引き出す(神戸ともしびプロジェクト)。

主婦、学生、あるいは商店主たちの活動は広がるが、その最初は「一人でなく、一緒に」という意思。それが、共感の渦を生む。もちろん、その渦を大きくし継続させるには、それなりの創意工夫が必要になる。だが、それも経験を重ねれば何とかなるはずのものだ。

思うに、20年に及ぶ経済の停滞と、その間、二度にわたって私たちを痛めつけた大震災。それらを経て、多くの日本人は、地縁血縁、あるいは学校の縁とか仕事場の縁とか、自然に与えられる縁とは異なる「新しい縁」を経験するに至っている。

それを育んだのは、他国にはない経済の豊かさであり、社会における信頼感の高さだろう。そうした日本の土壌の上に生まれ育つ、「誰かと一緒に」という意思と共感は、日本の将来を支える資源の一つに加えてもよいのではないだろうか。