秀吉は小田原城の目の前に「石垣山城」を築いた

そういう意味では、小田原城を攻めて、籠城戦の末、北条氏を降伏させた豊臣秀吉は、城攻めにおける兵站や補給の問題をよくよくわかっていたと言えるかもしれません。また、小田原城のような籠城戦においては鉄壁な城を攻める際にどこに隙があるのかということもよく見抜いていました。

本郷和人『「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル』(中公新書ラクレ)

先ほど「城内の人間たちの士気さえ下がらなければ、持久戦を続けることができる」と述べましたが、まさに秀吉はここを突きました。

秀吉は小田原城の目の前に「石垣山城」という石垣と天守閣のある立派な城を短期間で築きました。あらましができたところで周囲の木を一斉に切り倒し、小田原城内の櫓からよく見えるようにしたのです。

これを見た北条氏側の人間たちは皆一様に呆気に取られてしまった。なぜかというと、当時の関東には石垣を積んだ城や天守閣を持った城など存在しなかったのです。秀吉はここで築城技術の差をとことん見せつけました。

「士気を下げる」心理作戦が功を奏した

そうなってくると、次第に小田原城内に不安が立ち込めてくるわけです。あんな最新鋭の技術を持った敵に本当に勝てるのだろうかと疑心暗鬼になる。その意味では幕末における黒船来航と同じです。世界にはこんな巨大な蒸気船を建造し、自由に操る国々があるのかと当時の人々は皆腰を抜かした。同じようなことを、このとき、北条氏側の人間たちも思ったことでしょう。このままじゃとても敵わない。開国ならぬ開城しなければ滅ぼされてしまう。このように、籠城する人間たちの士気を低下させるという心理作戦が功を奏し、結局、北条氏の降伏というかたちで、秀吉は小田原城を攻略したのではないかとも言えます。

豊臣政権の技術の粋を凝らした城を見せつけることで秀吉の威厳を示し、相手を圧倒する。これもある意味では城郭を使った統治であり、合戦の仕方と言えるかもしれません。

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