「第2次大戦後に極右とネオナチがこれを重要な意味を持つシンボルに祭り上げたが、問題の写真のようなマークが使われだしたのは1990年代になってからだ」

ナチズムとこのシンボルの直接的な関連性を物語るよく知られた話がある。SSの長官だったハインリヒ・ヒムラーが本拠地としていたドイツ北西部の古城ベベルスブルク城の床にこのシンボルが描かれていたことだ。世界の中心とされるこの城で、ヒムラーはオカルト的な秘儀をしていたと言われている。だがストルーブによると、黒い太陽の図案を極右が好んで使うようになったのはここ数十年のことだ。

ベベルスブルク城の装飾を見ると、このシンボルはSSと関連がありそうだが、ただの文様だったのか、そこに何らかの意味があったのかは不明で、ナチスの思想と結びついたシンボルとなったのは「戦後、それもかなり近年になってから」だと、ストルーブは言う。「今では極右の間で、自分たちの属性を示す印として使用されている」

黒い太陽が何を表すかについてはさまざまな解釈があるものの、今どきこのシンボルを使うのは「極右かネオナチだけだと見ていい」というのだ。

「SSの秘儀のシンボルだったとの解釈もあり、極右と親和性がある北欧とスラブ民族のオカルト的な儀式と関連があるかもしれないが、ただ単にナチスの鉤十字の代わりに使われているのかもしれない。鉤十字は数カ国で使用が禁止されているからだ」

Tシャツやタトゥーにも

ウクライナでは、2015年に制定された法律でナチズムだけでなく共産主義のシンボルも公式に使用することは禁じられている。アゾフ連隊は黒い太陽を紀章にしているので、ウクライナでこのマークを付けている人がいたら、この組織のメンバーかその支持者と見ていいと、ストルーブは言う。

ユダヤ人組織「名誉毀損防止連盟」付属の研究所の上級研究員で、極右やネオナチに詳しいマーク・ピッカベージも同意見だ。

「ゾネンラート、つまり日輪は多くの文明に共通する古代のシンボルで、さまざまなバリエーションがある」と、ピッカベージは言う。だが古代にルーツを持つ卍模様と同様、日輪も「ナチスが独自のバージョンを作り上げ、白人至上主義者たちはそれを採用している」という。「(日輪は)ナチスのシンボルとしてはそれほど広く使われていなかったが、SSが使っていたので、エリートのシンボルと見られるようになった。今ではこれを愛用するのは極右だけだ」

「ナチスの第三帝国が崩壊した後、ネオナチ、そして、その後はその他の白人至上主義者たちが、ナチスが使っていた多くのシンボルを採用した」と、ピッカページは説明する。「ナチス版の日輪もその1つだ。シンボルにはよくあることだが、この5、6年で急に人気が出て、白人至上主義者の御用達のシンボルとなり、(Tシャツなどの)図柄に使われ、日輪のタトゥーを入れる連中も出てきた」

「(この紀章が)軍服についているのも、同じようにネオナチズムや白人至上主義の印象を与える」と彼はつけ加えた。