長らく比較されてきた雅子さまと紀子さま
ハーバード大卒で東大在学中に外交官試験に受かって外交官になった雅子さんと、父親は学習院大学教授、帰国子女、生活は質素で、「3LDKのプリンセス」といわれた紀子さんを比較して、紀子さんが雅子妃に対して学歴コンプレックスを持っているのではないかという報道もあるが、そんなことは問題ではないと思っている。
また、皇太子妃と、その弟である秋篠宮の妃とでは、宮内庁の中での遇され方も世間の目も違っていたはずであるが、それに紀子さんが不満を持っていたとも考えていない。
だが、紀子さんは結婚当初から美智子皇后(当時)を慕って、立ち居振る舞いから、皇室の人間として必要なさまざまなことを教えてもらうようになる。
美智子皇后も、そんな紀子さんを可愛がり、初孫である眞子さんの誕生を心から喜んだといわれる。
一方の雅子さんは、なかなか子どもをもうけることがかなわず、宮内庁から陰湿な嫌がらせを受けた。ようやく授かった子どもが女の子だったため、さらに追い込まれ、適応障害を発症してしまう。
週刊誌は、宮内庁関係者などからのリークをもとに、雅子妃は公務もしないのに、たびたび外食に出かけ、実家へもちょくちょく帰っていると批判した。
2010年3月には宮内庁東宮職の東宮大夫によって、学習院初等科第2学年在籍中の長女・愛子さんが、連日学校を欠席していることが発表され、大きな騒ぎになった。
当時の美智子皇后が雅子妃を「叱った」日
一方の紀子さんは、2006年9月に、皇族として約41年ぶりに男の子を出産したのである。
雅子さんと紀子さんの人生が逆転した。ワイドショーや週刊誌は、そうはやし立てた。
週刊文春(2016年1月21日号)は、前年の12月23日、天皇誕生日の日に、美智子皇后が雅子妃を「叱った」と報じている。
記事には詳細な美智子皇后の言葉が記されている。これは「すべての事情を知る千代田関係者が、その顛末を詳細に証言した」とあるから、美智子皇后の了解を取った上で週刊文春に話したということではないか。
内容をかいつまんでいえば、雅子妃の病気について、多くの人々の前に姿を見せることが最善の道で、それが「適応障害」という病気にもとても良い効果をもたらすのではないか。
もっと時間をかけて東日本大震災の被災地を訪れ、被災者の方々の気持ちに触れるように。天皇陛下が大切に思われている広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦記念日、沖縄慰霊の日の意義を深く考え理解してほしい。
なかでも雅子妃の実家、小和田家とのことは、かなり厳しい口調でいっている。
「ご家族という意味では、(連絡を取るのは)良いことであるけれど、皇室という中で小和田家は特別の存在ではありません。小和田家と、浩宮が育ってきた皇族というのは、文化が違うのですから。皇族の文化の中にある雅子が小和田家と触れ合いを持つという、そういう心構えでなければならないのよ」