実力以上に見せようと過干渉になっているのでは
今回、昨年春に北九州市が主催した「第12回子どもノンフィクション文学賞」で、大賞に次ぐ佳作に選ばれた悠仁さんの作文にコピペ問題が浮上した。紀子さんは息子を叱ったと報じられているが、まったく知らなかったのだろうか。宮内庁のチェック体制の甘さを批判する報道もあった。
失礼ないい方にはなるが、紀子さんは、息子を実力以上に見せようと過干渉になっているため、時々、不都合な事実が表に出てきてしまうのではないだろうか。
やはり週刊新潮で、皇室ジャーナリストが「将来の天皇に求められるのは競争社会で生き抜く力ではないはずです」といっている。われわれ国民は、東大出の天皇を待ち望んではいないはずである。
天皇がいっているように、「国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にする」ことが、国民統合の象徴としての天皇像に近いものであろう。
それにしても不思議なのは、今回の悠仁さんの高校入試を含めて、父親である秋篠宮が、悠仁さんをどう育てたいと考えているのかが、ほとんど伝わってこないことである。
週刊文春(2月10日号)にはこんなことが載っている。
帝王教育を「両陛下にお任せすべきではないか」という声も
「『悠仁さまのご教育に熱心なのは、父の秋篠宮さまよりも紀子さま。紀子さまは悠仁さまのご教育について、一宮家ではなく皇室全体の問題だと捉えておられるのです』(宮内庁関係者)
紀子さまは“ゆくゆくは悠仁さまが皇室の中心となるという覚悟や信念を養うことが必要だ”という趣旨で、その強いご覚悟を述べられたこともあった。しかし秋篠宮は、そうした帝王教育に“必ずしもそうしたことがいいとは……”と躊躇を見せられたという」
ご自身のことを含めて、天皇のあるべき姿を、秋篠宮はほとんど語ってこなかったのではないだろうか。悠仁さんはまだ15歳、まだ時間があると考えておいでなのだろうか。
しかし先の女性セブンは、
「悠仁さまは現在15才。もう数年で成人すれば、公務を担われることになる。宮内庁関係者は、こんな心配を吐露する。
『将来の天皇としての素地を悠仁さまが身につけることができるのかと、周囲は危惧しています。学校のお勉強では会得することのできない「帝王教育」のためには、“秋篠宮家ではなく、両陛下にお任せすべきではないか”という声がやみません』」
秋篠宮家から悠仁さんを取り上げて、天皇家で帝王教育をしたほうがいいというのである。極論だが、秋篠宮夫妻は、悠仁さんの一挙手一投足に、多くの国民の関心が向いているということを、今一度考え、2人で話し合ったほうがいいのではないだろうか。