秋篠宮家、宮内庁、本人にとってもいいことではない

その上、悠仁さんが中学1年生のとき、彼の机の上に刃物が置かれていた事件があったため、筑附高では宮内庁と相談して、警備態勢を整えるという。

それ自体は批判されることではないが、そうした特別扱いされる学生が学内にいることで、意識の高い学生たちが違和感を覚えて、学内全体の雰囲気がおかしくなることを、私は心配している。

だから学習院に進ませればよかったとは、私は思っていない。実力が伴って、それを周囲も認め、それでも、「自分が受かることで、誰かを落とすということはできない」と考え、推薦制度を使うことはあってもいいと思う。

だが、十分な実力もないのに合格させたとしたら、子供には残酷な面があるから、これからさまざまな悠仁さんについての情報がメディアに漏れていくことになるに違いない。

そういう事態は、秋篠宮家にとっても、宮内庁にとっても、本人にとってもいいことではない。

現天皇は、学習院高等科時代、盆栽に興味を示したことから、校内では、「じい(爺)」というあだ名がつけられたという。当時の学友たちとは今でも友情を育んでいるといわれる。

当時、東京目白駅近くのおでん屋に、大学時代の皇太子が友人たちと飲みに来るという話があり、何度か取材を兼ねて通ったことがあった。

残念ながら皇太子とは遭遇できなかったが、店の主人は、仲間と楽しそうにワイワイやりながら飲んでいると、話してくれた。

日本の学校の教室
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配慮を重ねるあまり“虚像”を作ってはならない

学習院の中・高の音楽教師として天皇の授業を受け持った藤原義久氏が、週刊新潮でこう話している。

「短くなった鉛筆を陛下が捨てようとされた時、周囲が“これも税金で買ったものだから大事にしなさい”と、たしなめたことがありました。少なくとも私たちは玉のように優しく接してきたわけではありません。皇族方は普段から様々な配慮を受けることが多い。だからこそ学内では、一般の生徒たちと同じように接しようというのが学習院の美風でした」

私のようなひねくれた人間は、こういう“美談”を素直には信じない。だが、配慮に配慮を重ね、子どもの実力以上の“虚像”を作り上げ、独り歩きさせようというのは、親たるものがやってはいけないことだと考える。

さらに心配なことがある。週刊新潮で宮内庁関係者が、こう話している。

「(悠仁さんが=筆者注)これまで、官邸に親しいお友達を呼んで一緒に遊ばれているといったお話は、ほとんど聞こえてきません。代わりにお相手をしているのは、もっぱら皇嗣職の職員。(中略)同年代との交流が極めて少ないのです」