紀子さまに降りかかった長女の結婚問題
美智子皇后は、実家である正田家に嫁いだ後、ほとんど顔を出さなかったそうだ。正田家側も控えめな態度で、母親の富美子さんは「機械(電話)を通してしか娘と話すことができません」と語っていたという。
それに比べ、何かと小和田家と会いたがる雅子妃に、皇室に嫁ぐということはどういうことなのかを諭したというのである。
その後の天皇の生前退位、皇太子の天皇即位で、秋篠宮家は2人の将来の天皇がいることになり、紀子さんはわが世の春と思っていたのではないか。
だが、長女・眞子さんと小室圭さんの結婚問題が起こり、小室さんの母親の金銭トラブルが発覚して、秋篠宮家に対する世間の目は厳しくなり、紀子さんの前に暗雲が立ち込める。そして、長女は皇室を離脱して、夫と共にニューヨークへ旅立っていってしまった。
2月23日に行われた誕生日会見で、天皇は再び、眞子さんの問題に触れ、こう述べた。
「結婚について様々な意見があるなど、結婚に至るまでの状況を踏まえ、納采の儀などは秋篠宮家の判断で、また、朝見の儀などについては、私の判断で執り行わないこととなりました」(NHK NEWS WEB 2月23日 0時02分)
わざわざ朝見の儀を自分の判断で行わなかったといったのは、天皇自身がこれを行うことを大切に考え、眞子さんも朝見の儀をやっておけば、結婚後も皇室へ顔を出しやすくなる、そういう天皇の“親心”からだったといわれている。しかし、眞子さんはその好意を受けずに去っていってしまった。そうしたことへのわだかまりが、天皇にはあったのではないかと推測されているようだ。
その思いが、次のような厳しい言葉になったのではないか。
「東大卒の天皇」というキャリアが頼み
「今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」
これは天皇として精いっぱいの眞子さんに対する苦言であろう。
「皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います」
これが天皇が考える皇室のあり方だとすれば、国民を無視するどころか、自分たちを応援してくれる人と、応援してくれない人を二分するような発言をした眞子さんに、あきらめにも似た気持ちを持っているのかもしれない。
そうした皇室全体の空気を知っている紀子さんが、頼みとしたのが、悠仁さんの名門高校入学と、初の東大卒の天皇というキャリアだというのである。
週刊新潮(3月3日号)によれば、さる宮内庁関係者が、
「競争が身近にある環境で大事な高校生活を過ごされ、なおかつ3年後には大学進学が控えている。どのような青年時代を過ごされてきたかは将来、どのような天皇となられるのかに大きく反映されます。
超進学校に通われ、受験勉強に時間が割かれるのだとすれば、この時期に身につけられるべき帝王学、そして国民統合の象徴たるご自覚の涵養などがおろそかになってしまわないでしょうか」
と心配している。