認定されないことで遺族を傷つけてしまう

――確かに。本来、災害関連死に認められるべきケースが、誤って関連性なしと判断される危険性もあるわけですね。

そのとおりです。そして、そのような件が裁判になり、裁判所の判決で是正されるならよいですが、「裁判まではしたくない」となることが多いので、誤った認定がそのままにされているケースは多くあるのだと思います。特に田舎ではそうなりやすいです。

ここで考えなければならないのは、ご遺族の感情です。なぜなら、これは遺族に弔意を示す制度だからです。

ぜひ想像してみてください。遺族の方が、災害関連死の申請を自治体にする場面を。

災害後、家族が亡くなった。ご遺族は、家族がなぜ死んだのか、死ななければならなかったのか、答えのない問いを探すようになります。私も病気ではありますが兄を亡くしているのでよくわかります。自分がああしておけばと悩みます。特に災害ですから、自分が逃げるようきつく言っておけば、震災後もっとがんばって支えていたら、命を落とさずにすんだのではないかと自分を追い詰めるご遺族は少なくありません。

そして悩んだ末に、家族は災害で死んだんだ、仕方がなかったんだと考えたときに、災害関連死の申請はされます。つまり、全ての申請は、家族は災害によって亡くなったと考えて出されています。

その遺族に対し、行政から「関連性はありません」と通知する。これがどれほど遺族を傷つけるのか、ぜひ想像して欲しいと思います。さらに、災害が原因ではないという通知は、やはり私がああしていればという悩みにも繋がりかねません。本来は災害関連死として認定されるべきケースにおいて、誤った結論が出される悲劇は、何としても避けなければならないのです。

遺族に弔意を示すための制度なのに、運用に問題があるがために、多くの遺族を傷つけてしまっている、そんな哀しい悲劇が起きています。

「関連性の程度に合わせて弔慰金の額を調整する」という提案

その上でですが、この悲劇を避けるためならば、現在の制度を改めることも検討に値するのだと思っています。

例えば、私は、「震災の影響はさほどとも思えないのに、このケースも500万円を支給するのか」と言ったお医者さんに、「じゃあ、この事例は、弔慰金が10万円だったら関連性はあると思いますか」と尋ねたことがあります。そのお医者さんは、10万円ならあるんじゃないかと言いました。

それなら、遺族を傷つける悲劇を減らすために、一律500万円または250万円とする現在の制度を改め、関連性の程度に応じて弔慰金の額を調整できるような制度にすることも一案なのだろうと思います。

ただ、この場合には、現在の弔慰金が果たしている遺族の生活保障の面を引き継ぐ、別の遺族支援制度が作られなければなりません。例えば、遺族に生じた、震災前後の収入状況、経済状況の変化に照らして、一定程度、生活再建を実現できるような額を遺族に支給するといった制度です。

実際にご遺族の話を伺っていると、被災者は仮設住宅という密なコミュニティで生活しているので、災害弔慰金が支給されたことで、あの人は家族が死んだおかげで大金を受け取ったんだ等、周囲からやっかみを受けることがあると聞きます。

関連死に認定されなかった遺族と、認定された遺族が狭いコミュニティの中に共存しうるいまの状況を併せ考えると、弔慰金の額を関連性の程度に合わせて調整できる方法にすることは、あり得る選択肢だと思います。